猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

文明とは灯りを灯すものだろうか?それとも消してしまうものだろうか?

僕の子供時代の頃と比較しても驚くほど文明は発達しました。

それと共に人の心は失われて行くように思えてなりません。

イカーなんて庶民の物ではなかったし、電話さえまだ庶民の物ではありませんでした。パソコンもモバイルも無い時代、通信と言えば手紙くらい。

文通と言う今では考えられないようなスローな時間でした。

手紙を出せば、返信が待ち遠しいだけのワクワク感なんて時代です。

それだけに人の心ものんびりしていたように思います。

電話も取次ぎが当たり前の時代でした。

電話さえ無い家庭が多く、かけるのは校章電話からだったり

呼び出しだったりです。

僕は少年時代は田舎に住んでいたのでバスは朝昼夕方と3便

車が家の前を通るのも一日数台、マイカーではなく材木運ぶトラックだったり

会社関係の車程度でした。

日に何度かは馬車が通るような町でした。

ある時、大分のホテルに泊まり、そのホテルに行くのに

道路を渡るのですが、車の多さに圧倒され渡れなくて泣いた記憶があります。

車の多さと言っても田舎と比較するもので現在の多さではありません。

田舎だと一日数台なのに、目に映るのが一度に数台

そのヘッドライトに怯えて渡れなかったのです。

 

日本を導いたのは自動車ですけどね、それが文明の先駆けだったと思います。

ホンダなんてオートバイしか作っていなかったし、マツダはやっと

初の自家用車の生産が始まったばかり、冷蔵庫なんてまだ氷を使った時代です。

駄菓子屋さんではまだ天秤計りを使った店もあったものです。

ただ現在は便利が良く、心の置き場なんて無い時代ですね。

 

僕はよくマネーの話をするのですが文明とは密接に関わるし

マネーそのものが生きる糧になってしまった事が心の荒廃を

招いていると感じています。

 

僕は観光やグルメ等に興味もありません、マネーの上にあぐらかいたものは

馴染めないのです。

僕のコピー人間、または同じ価値を持った遅れた時代の産物人間ばかりだったら

観光地は存在しません。あるのは自然環境の恵みです。

その価値観を持った人が沢山居たら観光地は存在しません。

恐らくグルメ等の店も存在しない事でしょう。

そう言う産業はやがていつの日か必要のない時代が来ると思います。

物への依存は物を取り尽くした時に消え去るのです。

大都会が停止する日も何れ来る事でしょう。

 

産めよ増やせよ地に満ちよと言うのは恐らく大都会ではなく

自然に繁殖し広がる事であり、飛行機や車で移動して満ちる事で葉ないはずです。

マネーと言うものが無ければ車も飛行機もないよねえ

繁殖するのもせいぜい歩いて行ける近隣の村同士

地に満ちよと言うのはそう言う前提のものだと思います。

自然の大地に生きる牛や羊のように草原を求めて移動するのが自然であり

人もまた、移動しながら繁殖を繰り返し、定住する事は無かったでしょう。

住みやすい場所を求める為には自然の環境と共に遊牧民のように

移動する生き物だったと思います。

若しくは定住する環境に大地を大切にした事でしょうね。

境界線の無い時代が本来の生物の環境だと思います。

境界線を持つと争いが起こるだけ、豊かな大地を求め

みんなが分け合う事が人類の本来の道だと思います。

それが叶わないのがマネーの時代です。

土地を持てば執着する、そこが住みにくくてもね

燃えれば再建する、崩壊しても作り直す繰り返し

何だか違うなあ。

心の拠り所が物へ乗り移ったよう。