そしてシマちゃん達のところへ
お堂から小学校へと
歩き続けていると
車を停めていた近くで
住宅横の山の中腹からおかあさんがこちらに向かって来るのが見えました。
そしてシマちゃん達のところへ
お堂から小学校へと
歩き続けていると
車を停めていた近くで
住宅横の山の中腹からおかあさんがこちらに向かって来るのが見えました。
今日は墓所の駐車場に車を停めての歩きです。最近はこんなパターンが増えて来ました。体力の消耗も大きくなったようで午後は寝てしまう事が多いですね。
このまま石材店裏の丘へ移動
ここから住宅街にある公園へ歩いて行きました。
墓所の縁に立つと
墓所を抜けると
戻り道の住宅街で
石材店横で
この後リムはどくちゃんに追われ木の上に逃げどくちゃんもリムを追い
木の上へと上がって行きました。
4兄弟のおかあさんエリア近くの公園へ車を移動、空き缶をゴミ箱に捨て
おかあさんのエリアまで歩きました。
ギャルオはよく食べるので沢山餌は与えるのですがしぃちゃんは食べるのが
遅いためよく横取りされてしまいます。
最近は車停めて歩く事が多くなりました。
家から歩くと時間もかかりすぎ時間の無駄と体力の消耗が激しいので少しでも
楽をしたいと身体が言ってるようです。
どこがどう悪いのかはよくわからないしあまり深く調べて貰うのも
無駄な時間の消費になりそうで嫌ですね。
呼吸が苦しいのが楽をしたくなる理由ですが長い間の喫煙習慣なのか糖尿病
或いは別の原因もあるのかも知れませんね。
また職業として20年間アスベストと付き合った事、5年間セメントの粉を吸ったり
した事も要因なのでしょう。
糖尿病を気にしなくても肺の方が先に弱るような気もしています。
糖尿が段々悪化して後戻り出来なくなるまでに呼吸困難が先に訪れるようなら
食べたい物を食べたいだけ食べる方が得策かも知れないですね。
まだ元気のいい頃に酸素濃度を計るオキシメーターを持ち愛宕社へ訪れた頃
2018年頃かな?
山を登り息苦しくなってから計ると酸素濃度98⇒91%となっていましたが
現在は家の中で少し歩いただけで98⇒90%、これは服を着替えたり布団をたたんだり
しただけでも同様です。
恐らく歩いている時は90%前後かも知れないですね。
今は寒く指先が冷えるので野外で計るのは正確性に欠けるので
5月頃ならまあまあ正確に計れるのではないかと思います。
正常値は96~98くらいが普通だと思います。
肺活量も随分失われていると思います。
気管そのものが弱っているのか大きく息が吸い込めない
大きく息が吐きだせない(咳き込むから)
大好きなタバコも以前の様に2箱は行かなくなりました。
歩きたばこも吸うだけの息が整わないので本数が伸びない事と
吸っても大きく吸えないので少し吸うともういらないそんな今日この頃です。
暖かくなってある程度回復すればいいけれどそれもあまり期待は出来ないですね。
歩ける内は歩くだけです。
猫さんは兎に角、人を物をよく観察します。
僕も世の中をよく観察する生き物です。流れの中に居ると分からない事も多く
流されてしまうので流れの外から冷静に観察です。
コロナ騒動も冷静に耳を立てて動き観察しましたねえ。
非接触式体温計で発熱を調べる矛盾(ほぼ役に立たない)
防護服での消毒や病院での対応(見せかけの対応としか見えない)
ウィルス干渉の話、同時に二種類のウィルスは入れない。
3年間発熱外来はコロナだけ(ウイルス干渉)
マスク、消毒は最低限のライン
現在はコロナ、インフル同時感染を謳っているね
それはなかったはずなのに両方の検査キットまでねえ‥‥。
その理由が最低限のライン、マスク、消毒によって3年の間に免疫が
失われているからだとか話にならないね。
マスクは個人の自由なんて言葉も出て来てね
阿保達はマスク解除されてもマスクは付けるなんてね
漫才だよね。
ワクチン+マスク、消毒、換気や制限設けて
日に何万人も感染させたじゃないの、まだ気がつかないのかな?
始めから何もしなければ免疫力も失われず感染も早く進み集団免疫何て
すぐ出来た事でしょう。
一つ成功したのはワクチンかもです。
これによって本当の免疫力は失われたか弱くなってはいると思います。
これは知ったげな人達の罪ですねえ。
人類以外の生物にこの騒動はまったく行き渡っていません。
いつもと同じ世界なんですね。
墓所の下では
緑の墓所に戻ると
住宅街で
石材店裏の丘で
無信仰なので天国や地獄がどこかに実在するとかはわからないけれど
相対的に考えると僕らの住んでいる現世は生き地獄のように考えた方が
道理に合いそうです。
天国、地獄どちらも住めば都かも知れませんね。
どちらも「死」と言う観念がなさそうだし、どちらも比較材料が無いので
ハッピーでは無いでしょうか?
そこへ行くと現世は生身の身体だし日々の出来事を垣間見ると
地獄がありそして天国もあるように思います。
その+-の差を計ると生き地獄そのものですね。
地獄なら-方向ではありますが同様に天国もまた+方向のみなので
比較材料は何もありません。
現世は生身の身体と心なのでこれほど過酷な場所は天国や地獄にはなさそうですね。
みんな当たり前に生きて当たり前に死んで行くので深く考える事は無いでしょうが
ニュース見ても悍ましい事があったりもちろん楽しい事も満載ですが
現世でハッピーになるのは鈍感な人だけだと思います。
+-の差がそれを指しているように思えるのです。
今、歓喜しているあなたはその場面だけの瞬間だし
今苦しみの渦の中にある人もその瞬間だけ
それぞれの距離が遠い事から鈍感なだけでその距離が近ければ
とてもハッピーには慣れないって事ですね。
ウクライナ、ロシアも遠い国の出来事には違いないのですが
ニュースで近くへ持ってくれば思い切り楽しむ事は失礼だしね。
至近距離に天国と地獄があるような空間だと生きる事さえ難しいですね。
それは誕生日やハッピーなお祝いしようと準備している中で
隣で不幸があったりすると一瞬で吹き飛ぶような光景ですよね。
天国や地獄にはそんな落差は元々ない事からどちらに転んでも良いでしょう。
現世ではその辻褄を合わせる為に色々としているようですけどね。
天国と地獄は右と左に分かれる部屋のようなもの、どちらでも同じ。
現世は生き地獄で天国にしようと思っても出来ないようですね。
現世の此処にいる事が現実だと言う事を忘れない様にしましょう。
1秒1秒を楽しむ、どんな出来事も受け入れる。
わしが死んだら笑え。
おねえちゃんは恋の季節でここには居ないようでした。
公園横から車で墓所の駐車場まで移動して石材店裏の丘へ
お堂を過ぎて