猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

不幸感と人間性:野良猫に対する偏見と人間の価値観

今日は猫歩きはしないかもと言う事で

過去記事を貼り付けました。

 

 

 

gingagingalong.hatenablog.com

3年前の今日

gingagingalong.hatenablog.com

 

今日は天気もイマイチ悪く医者に行く日でもあるので

朝少し歩こうかと思いましたが取りやめです。

午後気分が乗れば歩くかも知れませんが妻と娘が休みなので

買物など行くとその元気は無くなるかもです。

 

少しボヤキを入れます。

 

ボヤキ

人間と比べると猫さんに対しての不幸感が猫好きと猫嫌いでは

真逆に近いですね。

よく永遠のテーマと言う言葉が色んな場面で使われますが

野良猫さんに対しての見方もそれですね。

病気やケガなどで野良猫の寿命は短いけれど

その事自体で既に不幸な猫と定義されてしまうんですね

不幸な猫を増やさない為と言う大義名分のもとで

この世から野良猫そのものを抹殺している事に気づいていないようです。

あの人達の理論に従いそれを実行すれば確かに野外で野良猫を

目にする事は永遠に無くなりますがそれが正しいのでしょうか?

猫の祖先がどこから来ているにせよ人に置き換えれば

日本人の祖先はどこから来ているのかって事で

本来存在すらしなかった僕らがこの地に居る事さえ

野良猫さんと同じ立場だと思います。

人間に対しての殺処分は極悪非道な殺人鬼が対象となりますが

野良猫さんと同様の価値観で考えれば

ホームレスや貧乏人の子供も不幸な人さんであり

施設などに入って居る老人も不幸な人さんとなりますね

その偏見の捻じ曲がった象徴事件がヤマユリ園事件でもあります。

理論的には筋は通ります。

存在価値すらない人間を税金で生かす‥‥のようなです。

それは施設で最後を迎えるお年寄りや病院で最後の時を

迎える人達も同様です。

野良猫に対しての偏見はそのようなものです。

不幸感が人とあまりにもかけ離れています。

人間に対しては同胞だからなのか許容する範囲が広いだけです

もし同等の生物としての価値観があれば人に対しても

適用すればと言いたくなります。

 

ボヤキたい事は沢山ありますがこれくらいにしておきます。