さくら猫とか地域猫活動とか生き物を大切にしているようにあれこれ良い話は耳にするけれど実際のところどうなんでしょうね?
不幸な猫を増やさない為って猫さんと色々話し合ってお互いが了承しあっているのなら理解出来ますがそんな話し合いをしたと聞いたことはありません。
何しろ言葉が通じないのだから一方的な偏見からの答えしか見えてきませんね
それは人で例えるとあなたの意志を無視して勝手に決めるのと同等な行為には違いありません。
さくら猫の生涯をちゃんと見届けた上で
その行為を続けているのでしょうか?
それとも不幸な猫を増やさない為には
良い行為と思い込んでいるのでしょうか?
僕には耳をカットされた猫さんは
違う形で不幸な猫に感じています。
多分不幸な猫人生を死ぬまで続けてしまうことでしょうね。
耳をカットされた猫さんをどんな目線で見ているのかなあ?
そう云う行為をしている人達は?
ある意味、醜いアヒルの子的な立場に陥れてしまってる事を少しは感じている人は幸いです。
醜いアヒルの子に例えましたが耳が欠けている(障害)そんな意味ではありません。
そう捉えたならばあなたは感じて居ないって事だと思います。
不幸の意味合いが僕らとは違う価値観なんでしょうね。
人ならば女性で生まれてきて
女性として扱われないのも不幸じゃないですか?
それに近い価値観があればそれに近い価値観が生まれてくるなら今一度、あなたがカットさせた猫さんのその後の生涯を見届けて欲しいものです。
きっとその生涯を見届けたら幾人かは
考え方が変わるでしょうね。
変わらない人は既に心を何処かに無くしてしまっているかも知れないですね。