猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

自然の驚異と向き合う

近年大雨による水害の頻度が高くなっていますね。

また避難勧告などの発令も異常に多くなっているようです。

自然と共に生きて行くための工夫がもはや限界に来ているように思います。

どこかに無理をしていて自然は自然の形を整えようとする時に水害や

土砂崩れ等が当然起きて来るのだと思います。

その事象が起きる場所に住んでいるわけだから自然の驚異を

軽く見過ぎているのだと考えてしまいます。

堤防決壊の水の行方はそれを僕らに教えてくれているはず

ここに住んではいけないよ。

自然に言葉はありませんから僕らはその脅威を感じない場所へ

住みつく事を教えてくれているような気がします。

地殻変動で海抜ゼロ地域ならまだ理解しやすいのですが

干拓や埋め立てで海抜ゼロ地域を作ってしまう事は残念な事だと思います。

都会地に限らず川土手等で塀を作るような人工的なものは

長い年月を考えるとやはり無理があります。

最低限海抜ゼロ地域の建物建設を禁じれば良いのですが

社会全体の動きから考えるとそれは国そのものが独裁的な力を持たないと

出来ないと思います。

またせめて埋め立てなどする時は海抜ゼロ地域としないように

法律から変えて欲しいものです。

そう言う法律がない以上埋め立て工場や住宅が建ってしまえば

後から埋め立てはもう出来ません。

何も無い海の埋め立てだって海産物などの漁業補償は莫大です。

陸地となると尚更莫大な補償になってしまうので

最終的には自業自得のものになり建て替え補強などの簡易な措置になると

思います。

一度経験した水害は、後世にも同じ事を繰り返すモニュメントに過ぎません。

変な話、河川決壊して水没した場所は単なる湿地帯として見て置いた

方が良さそうです。

川土手と言う人工的なものによって湿地帯が湿地帯でなくなっている

だけなのだから自然は何度も元に戻そうと試みる事でしょう。

お金の流通そのものが住みつく場所まで無理な環境にさせているようですね。

もしその流通が無ければ都市も存在しないし、もっと生活圏は変わって

来た事でしょう。

津波の時もそうでしたが過去の教訓はちょっとした補強などで

元居た場所に生活を戻すと言う事は次の世代で同様の繰り返しが

あると言う事に繋がります。

思い切った方向転換したくてもお金と言う存在がそれを妨げて

いるようにも考えられます。

安全地帯に住むよりは驚異の場所の方が選択し易い経済の流れは

今後も引き続き同じ繰り返しを余儀なくされると言う事でもあります。

一度あった事は何度もあるのです。

その点自然の驚異を心から恐れた人は幸いかも知れません。

自然の驚異に対しては必要以上に恐がる方が後世のためにも

良いものを残すと思います。

海を埋め立てて無くすよりは海抜ゼロ地域を無くす方がいい

また海抜ゼロ地域は魚の棲みつく場所でありたい。