ボヤキブログ

ただボヤクだけ

夢や希望も大事だけれど灰色も大事 運命論

僕はネクラです。

夢や希望は特に持っていません。

灰色気分で培った強さがあるので、小さな灯りが見えていれば

それで幸せです。

 

よく運命は決まっているのだから、一秒でも楽しい時間にしましょうと

施設のお年寄りに話ています。

お年寄りの多くは寂しいのです

それが募ってしまい、死にたいとか、生きていてもしょうがないとかね

無理もありません、暮らせる家族がいるのにも関わらず

そうしようとはしないのが今の世の中です。

核家族と言う構成が崩れ、年寄り一人暮らしだと心配だからと

小さな親切が孤独感をより多く募らせます。

年寄りだけだと心配だから施設に‥‥。

僕からすれば心配なら一緒に暮らす術を模索しなさいと言いたくなる。

不可能ではないはず。

またお年寄りにも言いたい、自己主張はするな

うるさいばばあやじじいと誰が暮らせるか

常識にしがみ付くなってね。

 

よく聞かされます、死にたい ハハハ死ねっ!

生きていてもしょうがない ハハハ生きたい癖に反対の事ばかり言う

 

僕の価値観は運命は決まっていて、どうあがいても変えられないものです。

そんな馬鹿なと思わないで下さい。

そんなに簡単に変わるものなら、それこそ生きる意味はなくなります。

どうなるかもわからないからいいのです。

病に伏せてもどうなるかわからないからいいのです。

それはどこまで行っても灰色なんですね。

 

極論すると死の姿まで決まっていると考えてもいいくらいなんです。

その理由はまず生きている限り死を迎えると言う事と

その死に方は選べないと言う事です。

どんなに注意を払い気を配ったとしても、事故死する人はそれで逝きます。

病にかかり医者にかかったとしても治らず死ぬ人はやはりそれで逝くのです。

安楽に寿命で死にたい気持ちはあっても、それを夢見たり願ったりするだけで

その通りにならない事はだれにでもわかると思います。

 

要は決まっていてもわからないと言う条件が有難いのです。

前に進めるのはそのわからないと条件があるから明日への希望なんですね。

 

運命はきまったもの

逆らっても立て付いても変えられないのです。

終わりの日が来るまで一秒でも楽しい時間を過ごすのがいいですね。

それこそが生きる事の意味に繋がります。

 

よく自殺するのを思い留まる、留めさせたと言う事象があったとしても

それは運命に刻み込まれているだけの事です。

あの時こうしていればなんてのはあるのだけれど

それでは遅いのです。

過ぎた過去は戻せない、これから行く先も変えられない

決まった運命の中で出来る事は、今を大切に生きる事

死にたい人も生きたい人も今を大切に楽しく生きる事だけ考えましょうね。

死ぬのは何もしなくてもやがてやって来る

急ぐ必要もなければゆっくり行く必要もない。

今をどう生きるかを今実行、即実行!

死にたい気持ちの人は、それを回避するため今何をすべきかを

考えましょう。