猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

非常識者の価値観 病について

僕は世の中の常識に抵抗があり世の中の価値観にも馴染めていません

従って非常識者の位置づけになると思います。

競い合う事も好きではありません。

勉強がどうこう子供に要求した事もありません。

兎に角生きている間は自由でありたい。

 

施設で働いているお年寄りと接していると最後まで常識に捉われている事が

可哀想な気持ちになったりします。

また一般の人が病で苦しんでいる事も悲しい気持ちになったりします。

僕の価値観では死は産み落とされた瞬間に始まっていて

逃れる事の出来ないものだと思っているのでそれを特に回避する事に

精力を注ぐ事は出来そうにもありません。

施設のお年寄りが日々服用する薬を間の辺りにする度

何の為に生きているのだろう?

病院通いの人達を見るにつけ何のために生まれたのだろうなんて

おかしな気持ちになります。

僕も病院に行かない事はありません。

下手な知識を持つが故に定期的には行っています。

しかし殆どの薬は貰う事なく診断だけ受けると言う感じです。

自分の身体がどう変わっているのかを数値で知りたいだけです。

糖尿病と診断された時から定期的に検査した方が良いと

信頼出来そうな医者だから顔を見せに行くと言った方が正解かな?

糖尿病あまり症状は無い病だと思います。

数値的にはギリギリの線あたりだと思います。

HbA1c7~8辺りです。薬は一度も使っていません。

もう何年も断り続けています。

コレステロール高脂血症だそうです、薬は貰いましたが

現在ストップしています。敢えて服用を避けているだけです。

それを頂いたのはその先生が「わしも服用している薬だから」と言う

言葉を頂いたからです。折角こちらの事を考えてくれている気持ちを

無にするのは良くないから頂いたのだけど薬信仰は無いので

服用はしない事にしました。

ただ三カ月に一度検査があるので次に行った時は話し合う事にします。

 

施設のお年寄りはみんな薬信仰者です。

服用しないと悪くなると思い込んでいます。

僕の場合服用すると悪くなると思い込んでいます。

そこが病の分かれ道なんですね。

気にすると病気なんです。

気にしないと病気ではないと言う事です。

病気だから服用するが一般的です。

ならば病気ではないと思えば薬の必要性はなくなります。

どちらの道を選んでも死からは免れられないわけです。

治そうと努力しても行きつく先は死だしね

努力すれば長生きと言う図式にはならないよね。

 

例えあなたは癌に冒されていますと言われても

ああそうなんだで済めば病とは言えないし

言われなくても癌かも知れないと考え怯えたら

もう立派な病です。

気に病む事が病気なのです。

気に病まなければそれは病気とは言いません。

せいぜいだるいとか疲れやすいとか痛い苦しいの言葉で終わらせれば

気に病む事は無いと言う事ですね。

 

日々お年寄りの血圧を測っているのですが

気にする人が多いのです。

常識に捉われてしまっているから、こんなに高いと倒れるんじゃないかとか

不安ばかりになります。

常識はあんたらが塗り替えてるのにねえ

医者は135越えたら高いと薬を出したがるけれど

あんたらは薬をのんで180、200だろ?

それで90歳100歳だよ。

医者が脅かしたって説得力ないよねえ。

倒れた時がその時なんだから倒れる前に心配ばかりしていたら

それが病って言うんだよ。

 

猫さんロードはそんな心配はするなと語ってくれる

彼等は病の知識はゼロだからとり越し苦労なんてあり得ない

痛けりゃあギャーって泣くだけ血が出ようが肉がはみ出ようが

それをいちいち気を揉む事はないしね

まして明日の心配などより今を生きる事に徹している

医者に行かなきゃなんて思う生き物は人間以外いません

手当は舐めるくらいのものさ。

 

医者に行く悪いところ見つかる手術、闘病生活

凄い無駄な生き方なんだけどそれが人間の宿命なのかも知れません。

下手に知識を持ったが故に病のオートメーションベルトコンベアで

決まったコースにハマるよね。

僕には選べないコースです。

自由に生きていたいから色々勧められても

自分で選んで自分で決め自分で解決したいと思います。

気に病むよりは自然体のままでありたい。