ボヤキブログ

ただボヤクだけ

抽象的な世界

僕は色々考え事をするのが好きでした、と言うより考えられずにはいられない

何かが意識の中にあるのだと思います。

この世は不条理で矛盾だらけその矛盾を少しづつ解消していくには

大いに悩み紐解いて行かねば答えのようなものが見当たらないんですね

そう言う考え事に浸ると何かしら自分なりの答えのようなものが

出てくるわけです。

若い頃はそんな話で朝まで友人と語り合ったりする事もあり

僕の話は哲学的だとかよく言われていました。

常識の中から抜け出してこそ自分と言う存在が見えて来る

その為には変人扱い変わり者扱い人と違う自分が存在するわけです。

僕がよく人々をロボットと表現するのはそう言う観点からだと思います。

自由や平等を語るにも元の自分が常識から脱皮しないと語れないと言う事です。

フリー、全てフリーな裸の心からでないと常識だけの自分では無い自分を

一生演じなければならないわけです。

ロボット達は生涯他人を演じる事で自分を失うって事でもあります。

 

アインシュタイン量子論と言うのでしょうか

その話などは科学に無知である僕の考え方によく似ています。

認識と言う形の実在性みたいなものですね

月は誰も見ていない所で存在するのかしないのか?

そのような哲学的な理論ですね。

観測して初めて存在するのであって観測する者が居なければ

そこに月は存在しないなんて摩訶不思議な話ですね。

恐らく科学者も宗教者も行きつく先は同じだと思います。

またそう言う事を考えざるを得ないそれぞれの個体が居るわけですね

何故の連続世界でもあります。

それにしたってそう考える動機もそれぞれにあると思います。

 

何故自分が存在するのだろう?

その意識はどこから来るのだろう?

そして人は何処へ行くのだろう?

ある種悩みが無いとその入り口には立てないだろうと思います。

どこかで人と違う価値観などが無いと中々そう言う心情も起こらないと

思っています。

死を意識するのも動機になったように思います。

自分で命を絶つだとか殺されるだとかそれは色々です。

死を覚悟すると見えないものが見えて来ます

と言っても物ではなく心の中に変化が起きたりです。

そして悩みの中で光を探す中で

自分と言うものを自覚認識させられるのですね。

その悩みの中に宗教や科学と通じる心の世界が広がるのでしょう。

 

月は存在するのかしないのか?

それは哲学の世界、宗教の世界

認識すれば存在するし認識しなければ月はそこには無いって事です。

いつも空に浮かんでるじゃないかと言われそうですが

そう言う思いを持つあなたも既に存在を認識しているから

そこに月は浮かんでいるのですね。

 

僕はよくお年寄りにバイタル測定も気にしたら病気ですよと説明します

それも哲学です。

血圧180なんて驚いたり心配するから

ただの数字ですよ、医者が喜び薬出せる

医療機器が売れて儲かるだけの話ですよ

数字よりも自分の身体に素直に聞かないと病気にされてしまう

病気になりますよなんてね。

例え200あっても体調いいなと思えばいいだけです。

殆どの人は医者で検査して血圧高い、血糖値が高い、癌だ心臓病だと

言われた時から病の始まりなのです。

高くてもいい、癌でもいい「へぇそうなん」

気にしなければそこに病は存在しないのです。

気に病むか病まないかだけで人生観は変化します。

心配しながら悩みながら死んで行くか

悩まず楽しく生きるかは自分次第です。

どの道、死はやって来るものです。

 

生命が生きる上に於いて必要なのは何か?

それは学問でも無ければお偉いさんになったりでは無いですよね

学問は無くても良いのです。

法律も何も無くても良いのです。

多くの全ての人は生まれ出た瞬間から歩く方向を

恐らく間違えたのでしょう。

その間違いが人間社会なのです。

培われた99パーセントが他人のコピーですね。

つまりあなたはあなたで在ってあなたでは無いのです。

 

どこかでリセットする機会がありますように‥‥。

戦争は人を殺しても良いと教えています。

してはいけないと言いながらしているのです。

良い事悪い事は教えられるもの教育されるものでは無いのです。

自分の中の神のような心に従えば戦争なんて起こりません。

右に倣えのロボット達の争いなんですね。

 

どうもこう言う話は受け入れられないし上手くまとめる事が出来ません。

僕はロボットではありません。

自由、すべて自由

人を殺すのも虐めるのも自由、破壊するのも自由なのです。

しかし自分の中の神がそれをしない事がお前なのだと教えてくれています。

 

あなたはロボットですか?