猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

愛宕神社なるもの 2011年3月12日

今から10年近く前の事、子供たちと近所の公園で遊んで居た時に向こう側の

山の天辺にポツンと赤いものが見え、あんな山の上に何だろう?

それが何か気になり、一度行って何か確かめてみようと言うのが

愛宕神社との出会いでした。

僕は無宗教、無信仰なのでそれが神社だと分かっていたら登るはずもありません

ただの冒険心から行く道も分からずただ道を登って行けば行けるかも知れない

今考えればよくぞ辿り着けたものだと思います。

f:id:giinggaggiinnga:20210103061544j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20210103061605j:plain

上に向かえば山がある山があれば山道があるだろう そんな安易な思い

f:id:giinggaggiinnga:20210103061710j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20210103061725j:plain

当時猫さんはただの被写体程度のものでした

f:id:giinggaggiinnga:20210103061813j:plain

ポツリと赤いものが見えたのはあの辺り

方向がかなりズレているなあと思いましたここからよりむしろ向こうに見える尾根側からの方かとも思いましたがこの辺りで既にしんどいなと思い向こうへ通じる道を引き返すなんて気力はありません。道が違っても山に登ればどこか切りのいい頂上には

辿り着けるだろうってなもんです。

運動もしたことのない還暦のおっさんです。

ただしんどくて何度も休憩しながら耳に伝わる心臓の鼓動でもう引き返そうかと

何度も立ち止まりましたがここまで来たのだからもう少しもう少し‥‥

最後の方はゼェゼェ言いながら10メートル歩いては立ち止まりでした。

f:id:giinggaggiinnga:20210103062554j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20210103062607j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20210103062619j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20210103062631j:plain

道があるのだからどこかへ向かうだろう

f:id:giinggaggiinnga:20210103062705j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20210103062719j:plain

本当に登るのは辛かった

たかだか標高300メートルあるかないかの場所でこんなに体力無いなんてね

スローモーションの動きで辿り着いて目に入ったのは

f:id:giinggaggiinnga:20210103062946j:plain

オイオイ嘘だろ鳥居?神社かい

f:id:giinggaggiinnga:20210103063030j:plain

お前がこんなしんどい思いをさせた犯人かええ加減にしろ

振り返れば僕は無宗教、無信仰

生まれて初めて初詣なるものに出向いた年に母を亡くした

無信仰の者が行く場所ではないなと思ったものでその後二度と初詣なるものとは

縁がないのだ。

僕の父母の記憶には初詣と蛍がある

初詣で母を亡くし蛍で父を亡くした思い出が深く刻まれている

蛍では何のことかわからないだろうが子供に初めて蛍を見せるために

連れて行きその時田舎でよく蛍狩りに行った事を思い出し父に蛍を

見せようと家に持ち帰ったのだ。

父は一言「おお、懐かしいのぉー」その年父は亡くなったのだ。

 

f:id:giinggaggiinnga:20210103063842j:plain

げげげっまだ上があるのか

f:id:giinggaggiinnga:20210103063922j:plain

f:id:giinggaggiinnga:20210103063941j:plain

公園から見えたのはこいつだった

f:id:giinggaggiinnga:20210103064012j:plain

息も絶え絶えで辿り着いたのだ

f:id:giinggaggiinnga:20210103064052j:plain

振り返ると市内が一望 この景観に救われました

最近は猫さんロードを毎日歩いています

この場所からそれを眺めると

f:id:giinggaggiinnga:20210103064455j:plain

あの黄色い枠内が猫さんロードです

愛宕神社との出会いは冒険心からの出会いです

無信仰の僕の足を運ばせた奴こそこの神社であります

2011年から毎年足を運んで居ます還暦から今月古希を迎えますが

いつまで足を運べるかはわかりませんが信仰心抜きで

こいつと毎年会っています。

無信仰の無い僕を上手く導いた奴だから無宗教、無信仰のまま

来てくれた方が習わしだけで足を運ぶより良い絆が生まれる事でしょう。

体力のバロメーターとして利用してくれと言ってるようにも思えます。

来れなくなったら平地で心豊かに暮らせと言ってるようにも聞こえます。

僕にとっては神社ではなくこいつは友達のような存在になっています。

一年の内のどこかで会いに来る賽銭もせがまないし

手を合わせとも言わないいい奴です。

ご利益? そんなもんはいらん。