猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

運命は決まっている

このテーマは時々書いているので話が重複する事も多いし

書いている途中に同じテーマでもこれまでに書き忘れた事などが

浮かび上がる事もあるので何度もこのテーマが出たりします。

 

運命は決まっていると言われると抵抗感があるかも知れませんね。

それだったら何の為に生きているんだってね

人生を短くして見ると「映画のようなもの」です

映画ってストーリー決まっているでしょ、最初から最後まで

運命とはそのようなものかも知れないと考えているだけです。

辻褄を合わそうとすると決まっていなければ何だかしっくりこないのです。

映画を作った人はその全てを知っていますが僕らには解らないだけ

それと同様にこの世を造った存在だけが知っている事も在るのでしょうね

 

映画って始まりが決まっていて

終わりも決まっているはずなのに観てしまうよね

それはストーリーが解らないからですよね

人生もそう考えたらどうでしょう

ストーリーは決まっているけれど

先の事が解らないから夢や希望がそこにある

 

色々な人が夢や希望に向かっています。それも解らないから出来る事であり

解らない事が如何に良い事なのかって事に繋がります

誰も事故に遭って死んだり、病で死ぬなんて望んでは無いと思いますが

それが日常茶飯事の様にあるわけです。

もし知っていたら生きる意味さえ失ってしまいます。

 

解らない=幸せ

観終わった映画を何度巻き戻してもストーリーは変わりません

運命とはそのような仕組みなのでは無いでしょうか

そんな馬鹿な努力すれば運命は変わると思っているかも知れませんが

運命のストーリーには既にその努力も組み込まれている事でしょう

じゃあ何の為に生きているんだ、解らないから生きているのです。

簡単に運命が変わるのならそれこそ生きる意味など見つからなくなります。

 

この世を造った存在は何を目指しているかは知らないけれど

星の起源や生命の起源など全て法則に従って製作している事でしょう

僕は無神論者ですが自分の存在や宇宙の存在がある以上

完全否定は出来ませんね、そこを否定すると自分の存在を否定する事に繋がります。

人の口から出る神は信じることはありません。

説いたり教えたりするものではなく実感するかしないかです

運命を決まっていると考えるのは時間の存在かも知れません

宇宙の始まりから今日まで繋がっています。

その繋がった時間の中で僕の存在は一瞬にしか過ぎません

あなたもね

法則や決まりがなかったら別のこの時代にあなたや僕が

存在するなんてあり得ないものねえ

原始時代でももっと1000年万年先でも良いはずなのに

今の時代に生まれ来ることこそ運命なのです

そこには寸分の狂いもないと思います

生まれ来る時間が寸分の狂いがないと言う事は

死に行く時間も寸分の狂いも無い事に繋がります。

後一分早ければ遅ければの狂いも生じさせないよねえ。

 

解らない事が幸せって事で

解らないから生きているのです。

 

僕らは産まれてから今日までのストーリーはリアルタイムで見て来ました。

今日からあなたが生まれた日まで巻き戻してもストーリーは変わりません

そのストーリーには夢を抱いたり希望も抱いて来たはずです

巻き戻しても何一つ変わらないし

あの時こうしていればと言う瞬間も変える事が出来ないよね

これから先もそれは同じだと思います

寸分の狂いもなくストーリーは続いていると思いませんか?

 

台風の被害も交通事故も誰も自分の意思で受けたわけではありませんが

田んぼや畑の状態をわざわざ見に行く、事故を起こす車がそこに来るのに

その場所へ行ってしまう。

今日墜落する飛行機に乗ってしまう等々、避けようとしても避けられないのが

運命なんだと思います。

 

こうして書くと悲観されるかも知れませんが

永い時間の中ではそれぞれが主役を果たしていると思います。

偶然の連続で考えるより繋がる時間の連続性を考えると

死もまた悲しいものではないのかも知れません。

与えられた死に方の切符をそれぞれが持っているようなものです。

私の切符と変えてよなんて言わないでね。

死に方まで変えてしまったら生きる意味なんてなくなります。

僕が例え死んでも時間は止まりません、次の世代へ時間は引き継がれます

明日が一秒先が解らない事を武器にして

今日を大切に、人の心を大切に楽しくして行きましょう。

 

今日を精一杯生きる、精一杯楽しく生きる事を考えて下さいね

猫さんロードの猫さん達はそれを語っているようです。

今を

精一杯生きるに徹しています。

明日の事で思い悩んだりしません。

この記事を目にするあなたも

今日まで何十億年この先何十億年もあるのに

目にする機会はこの一瞬しかありません。