猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

運命論と猫のりんちゃん

僕は運命論者

運命とはもしも、タラレバの無い世界なので確定的なものである

もしも、タラレバはあくまでも仮想、空想の世界であり

定められた運命が変わる事は無いのでタイムマシンで過去に戻りちょっと

空想に耽ったり仮想の現在を空想するものでしかないだろう。

大元は取り敢えずビッグバンと言う始まりに全ては内包されていただろう。

僕らが戻るのは一瞬の過去でしかないので仮想空想程度の表現が丁度いいだろう。

 

さて子猫のりんちゃんと出会ったのは僕のブログ、猫さんロードを歩く

途上で偶然=(必然)にであったのである。

そもそも僕がこのロードを歩き始めたのは膝を痛めたからでもある

二つの整形外科が手術以外には治らないと言われたがその言葉を無視し

膝を治すためウォーキングを始めたのだ

りんちゃんと出会うためにもそうするように運命が導いたとも言える

また歩き始めた初日に猫4兄弟と出会ったのも偶然ではなく必然だったと言える

前職を契約解除されるのも全て運命の導く通りです。

そうでなきゃ全ての辻褄は合わなくなり今の状況は存在しないからである。

 

また猫4兄弟が出会った頃のままだとやはり今の状況は消えてしまう事になる

運命とはずっと糸で繋がっているからその糸の上を歩めば寸分の狂いもなく

今の状況が再現されるって事ですね。

4兄弟が分裂したからその4兄弟に会うためにコースも変化して来ました。

その変化なくしてはりんちゃんとも出会う事は無いし、例え出会ったとしても

僕が猫嫌いや生き物の命を軽視する人間であればりんちゃんとも出会わないでしょう。

また僕が心無い子供時代にりんちゃんと出会っていたら見捨てていた事でしょう。

りんちゃんと出会いりんちゃんと一緒に過ごすためには今日までの

時間の経過が必要だったとも言えます。

 

あの日猫さんロードの途上にクロさんが居たらりんちゃんとは

出会えなかったはずですが運命とはそんなに甘いものではありません

決まった通りにしか動けない動かないものです。

クロさんが過去の場所に居れば此処に足を運ぶ事もなかったし

クロさんが居なくなっても探し歩かなければこの場所を歩く事もなかったはずだし

クロさんが当日すぐ居ればやはりりんちゃんのところへ歩くなんて行動もとらなかったでしょう。

 

また例えとおりかかったとしても難聴の僕の耳にりんちゃんの声が届かなければ

立ち止まる事もなかったでしょう。

運命とはそんなものでタラレバやもしもは無いんですね。

決められた通りの行動を意識なくしているものです。

恐らくりんちゃんも僕の耳に届く鳴き声を運命の定めの通り

していただけだと思います。

もちろん僕に見つけて貰うために鳴いたのではなく運命の定めです

僕もまたりんちゃんを見つける為に耳をそばだてたわけではなく

運命の定めの通り見つけてしまう以外の道はないものだと思います。

 

いつも言うように運命とは決まっていても解らないもの

今より先は決まっていても見えないものです。

分からない事が希望の源です。

一年先の僕の未来もりんちゃんの未来も決まっているはず

見えないからこそ幸せなのです。

運命は変える事も出来ないのです。

無理に変えようと努力しても無駄骨です。

今の糸はずっと繋がっていてどんなにあがいても

なたも僕もその糸の上を歩くしかないんですね。

 

さてたった一カ月ですがりんちゃんの一カ月を簡単にまとめてみました。


りんちゃんの一ヵ月

 

たらればの無い世界

もしもの無いリアルな世界こそ運命です

明日の希望や過去を振り返ってもそれは仮想空想です。