運命論にはあの時こうしていればと言う仮定はありません
今あなたがしている事が既に明日への準備に過ぎないからです。
恐らくそれはあなたそのものの行動がその流れに向かって進んでいるのだと
思っています。
大きな時間の流れの中で知らず知らず決められた行動を取っている事になります。
誕生から死に至るまでのストーリーを寸分の狂いもなく歩んでいる事になります。
それぞれに役割がありその役割を果たすための行動を取っている事に繋がります。
何だか決まっていたら生きている意味はどこにあるの?と言われそうですが
存在する事が既に意味のある事なので日々の時間はその為に流れているようなものです。
何故この時代に誕生し誰と出会い誰と結ばれなんて日常を振り返ると
何の違和感もなく理解出来ると思います。
今があるのは過去の積み重ねです。
僕と妻が出会うのもその積み重ねの上での事なのです。
妻がもっと未来に誕生する役割だとしたら出会う事がないように
同じ時間軸の中で出会うための行動を取っていた事になります。
それは受精の時も同様だと思います。
存在し得ない事からも想像出来ますよね。
落ちる飛行機に乗る行動も雨の中わざわざ危険な行動を取るのも
運命の仕業です。これこそ自粛すればなくなりそうですが
わざわざ落ちる飛行機には自分から乗らないといけなかったと言う事です。
止められない時間の中では死もまた偶然ではなく必然なもので
それから逃れる事は100%出来ない運命です。
その切符を私たちは持って生まれている事だけは確かだと思っています。
運命論ではこの新型コロナ等も驚異のものではなく
ただの時間の流れの一つに過ぎません。
マスクをしていようがしていまいが防護服を装着しようがすまいが
決められた行動の一つであり死は決められた通りに寸分の狂いもなく
訪れている事になります。
世界中がロックダウンして救われたとしても筋書き通りだし
蔓延して犠牲が増えても既に決まった道をそれぞれが歩んでいるだけです。
僕らがドタバタしているのは行先の決まった列車の中で
席を変わって見たり先頭車両へ急いだりの騒動です。
よって行先は変わる事は無いと言う事です。
僕は悲観論者でもあるので運命論は自然に考える事が出来ます。
今日誰と出会って何をどうするかは決められた道筋によって
決められた事を自然に受けて楽しい時間だけを過ごす事です。
今日あなたが取る行動
僕が取る行動
何故かを考えてみましょう。
どんなに決まった運命でも心は解放されています
楽しい時間を過ごす事の方が良いに決まっています。
悲しみに暮れながら暮らすよりは
楽しい時間の中で暮らす方が良いに決まっています。
新型コロナで差別意識やエゴな気持ちは持たない様にしましょう。
誰も悪くはありません。
世に流されないようしっかりと大地に足をつけましょう。