運命論はパーセンテージでは無く決定したもの、そう思わないと成りたたないものである。
毎年のように災害や事故、事件がありますがそれを運命論で語ると不謹慎と思われがちです。
確率論では無いだけに語ると抵抗があると思います。
悲しい出来事を運命論で語ると聞きたくは無いよね、感情を逆撫でされたような気持ちになったりすると思いますが運命論の中での「死」は悲しいものでは無いのです。
だから死を悲しいものとして捉えてしまうと
運命論は不謹慎となってしまうのです。
その時あなたは何故そこにいるのか?
その時あなたは何故そこに行かなければならないのか?
運命論ではその為にそこへ向かうと言う
確率論では無く決定なのですね。
そんな馬鹿な事は無い!と思わないで下さい。
運命論が馬鹿なら馬鹿でも決定は確率論ではないので動く事は無いのです。
もちろん奇跡もそこにはありません。
決定したものは揺るがないからです。
全ての時間の中で
その時あなたはそこに居るはずです。
どこ?ったって今いる所です。
そこが決定した場所なのです。
人が決めるのではなく運命が決定した場所です。
運命 命を運ぶ
あなたをそこへ誘う
もちろん生まれる時も同様です。
あなたの命を決められた時代の決められた時間、決められた場所に運んで来るのです。
運んで来たからには持って帰らねばなりません。それが「死」であります。
運んで来るときも寸分の狂いも無かったはず
持ち帰るときもきっと寸分の狂いもないと言うのが運命論と言うものです。
運命論での「死」は悲しいものでは無い事だけは理解して貰えたら不謹慎さも和らぐと思います。
命は運ばれて来て運び去る
生と死とは始まりと終わりでは無いのです。