出生した数だけ死亡すると言う自然な流れがあります
誰にも訪れる死をあまり意識し過ぎて頑張るのは理屈に合わないですね
医療技術が自然死をほんの少しだけ食い止めているようですが
それが最先端だと思うのは錯覚に過ぎないよね
その場しのぎの連続でしかあり得ない
死を食い止める術は皆無だと確信していれば
先進医療など小さな小さな出来事ではないだろうか?
手術が成功しても失敗しても終わりが来る事を考えれば
もっと大切にしたい今を生きる術こそが生きると言う意味ではないでしょうか
闘病生活している人には申し訳けないのだけれど
願いを込めて闘うよりは闘う事を楽しめなければ
生きている価値は半減すると思います。
苦しい事を乗り越えてその先にあるかないかわからない光に
全てをかけてしまったら乗り越えられなかった人は悲しいだけになります。
死は避けられない運命なのだから生きている今を楽しくしなければ
何の為に生きているのかわからなくなります。
少し話は変わって最初に出した言葉
「自然死」これこそが一番理に叶った流れだと思います。
個人的な考えではありますが色々なワクチンが開発されたりして
それはそれで素晴らしい功績かも知れませんが
どこか何かが失われているような気がしてなりません。
本来の終わりの時期を移動させてしまうわけだから
きっとどこかでつまづくように感じます。
医療と言うのは踏み外した命の行き所かもしれないですね。
今を精一杯生きる事に徹していれば死ぬ時期はいつでも良いはずです。
それが自然死と言う本来の生命の行き所だと思います。
医療技術によって闘っても勝てないウィルスの出現もいつの日か
訪れるかも知れません。
新型コロナウィルスなども必要以上に騒ぐ必要もなく
自然に受け入れ自然に任せればいいと思います。
感染者が出たと慌てふためいたところでそこに対処法は特にありません。
まして中国人の客を嫌ったりする必要もないし
例え感染者だったとしても良いでは無いか、そのくらいで終わるくらいなら
大した命じゃありません。
治療に専念して闘うのは闘病です。
治療無しで闘うのは闘病ではないのです。
病と闘うのと、ウィルスそのものと闘うのは次元が違います。
それは闘病では無く自分と対ウィルスの直接の闘いです。
乗り越えればいいだけ。
乗り越えられなければその時が自然死なのです。
僕らも地球に住む一つの生命体に過ぎません
全ての生命体はどこかで繋がっているはず
自然に受け入れ共存共栄するだけです。
インフルエンザにかかった人もその間共存共栄出来き
何かを残してくれたはずです、ワクチンでは残せない何かです。
人の身体にはウィルスや細菌が何十億個も住みついていると言います。
それぞれが生命維持に必要な働きをしている事と思います。
そのバランスが崩れたときはどちらも終わるのです。
200年先のあなたの姿を思い浮かべてください。
死が忌まわしいものでなく時間の流れの一部に過ぎない事がわかると思います。
終わりは決まっているようなものです。
今ひと時を楽しめるだけ楽しみましょう。
そう、例え弱った身体でもそれを笑って過ごしましょう。
死を忌み嫌うなかれ