猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

ちょっと疲れた一日でした。

夜勤明けの今日は義母から墓参りに行きたいとの事で行って来ました。

妻と中々休みが合わないので夜勤明けの今日行く事になったのですが

大抵帰りはどこかで昼食をして帰るのが日常の墓参りのパターンです。

それでもいつも通り猫さんロードは墓参りに出かける前に行って来ました。

信仰心の欠片もない僕もお墓に行けば手を合わしたりはしていますが

それは習って来た習慣の挨拶と変わりません。

命は生きている貴重な時間の方が大切です。

親孝行も親が居なくなってしまうと出来ないし、お墓へすがっても

戻って来る事はないので、みなさんも命のある内に精一杯命を燃やし尽くしましょう。

墓参りの後は恒例の昼食です。僕にとっては退屈な時間でもありますが

そのくらいの短時間のお付き合いはしますけど、家でくつろいでいる方が

僕には似合っています。

そんな僕だから食べ歩きなどした事もありません。

外出する引きこもりタイプなので食事に行くよりは川や海、山や野原で

自然と過ごす方が似合っています。

観光地巡りなども一切興味ないし、人からは何の楽しみがあるの?

と言われたりします。

生きている事が幸せだし、高級料理口にするよりはおむすび一個を

味わって食べる方が好きです。

 

信仰心がないので母の命日、父の命日は覚えていますが

特別な日とはあまり意識した事がないので過ぎてから気が付いたする事も

しばしばです。仏ほっとけみたいなものです。

今日を精一杯楽しく幸せに暮らす事が一番の供養であり

見守って下さいなどのお願いもしませんし、今の状況を報告する事も

ありません。

死そのものの捉え方が人と違うのかも知れないですね。

死とは姿が見えなくなっただけと言う考え方に近いです。

つまり死んで終わったと言う結末ではなくて

今でも心の中で生き続けているので、それを大切にしたいなと思います。

 

父の言葉、善行は人の見ていない所でせよ、だとか

人の裏を見ろだとか色々教わり学んだことはちゃんと受け継がれています。

また母の言葉、あんたは神様の様な人だから何も言えないだとか

親孝行過ぎる事も時には母を苦しめる事もあるんだなとかね。

色々心の中に今も生きているわけだから

死とは形が変わっただけで姿として見えないだけのものかも知れません。

 

色々儀式的なものはかる~く考えていた方が生きるのに都合が良さそうです。

そう言えばここ2年父母の墓参りも行ってません。

わざわざ時間を割いて行くよりはドライブがてらに行ける

のんびりできる時に行きたいと思います。

現実の生活が大事なのでセオリー通りに行っても喜ばないと思います。

慌ただしいお盆など無視して人の少ない時の方がいいですね。

罰当たりと呼ばれるくらいの方が僕に似合っています。