今回の新型コロナはその脅威よりも改めて人の死の在り方を
考える事になりました。
死はどんな人にも間違いなく訪れます。
志村さんもその切符を頂いたのでしょう。
命を救うはずの人工呼吸器もその切符の前には勝てないと言う事です。
そんな装置が足りる足りないを議論する前にそんな装置を装着してまで
人の命を越えた神の領域に足を踏み入れて良いのかと思います。
装着の選択を無心で出来るような人は居ないはずです。
また現実的には志村さんも装着した結果の死亡と言う事です。
最大限の努力の末の結果ですね。
こんな機器を有り余るほど生産したとしたらとても恐いですね
同じ眠るのなら静かに眠りたいものです。
生への執着心はとても恐い
僕はそこまでして生きるつもりはないので
死を前提にした安楽死の方が似合っています。
元々死を前提にした考え方なので先端医療は望んでいません
そちらは何としても生きたい、生かせてあげたい人達の所有物なので
僕には相応しくないですね。
人の心の倫理観として、扱えない心の人達が色々な医療機器や薬剤を
造り出し、扱えない心の人達が扱うんですね。
医療崩壊と言う言葉がそれをよく表しています。
身も心も軽くなった志村さん
楽になって良かったねと笑顔で見送ってあげましょう。