常識と言う物の恐さはどの時代にあっても恐いものだ
一度固めてしまった常識は刀を振り落とす程の勢いをもってしまう。
それが例え正しかろうと正しくなかかろうとだ。
日常生活の中でもその構図は同じで少数派は取り敢えず悪とされる
その構図くらいは皆さんも理解出来るでしょうね。
そこにあるのは作られたトリックのようなもの
少数派の言う事は白眼視され軽蔑されるのが大体の構図だと思います。
地球は動いている回っていると唱えた時代、それは悪とされたでしょ?
それが一般常識の刀です。
正しかろうと正しくなかかろうと刀と言うものは素手より恐い
少数派は素手ようなものです。
色々掲示板だとか猫の餌遣りの問題で少数派に対する意見を
まともな心で純粋に素直に読んで欲しいものです。
それは猫の餌遣りに限らず全ての事象の反論にも現れています。
土俵自体が全く違う事、どこから行っても上から目線の言葉の羅列です。
僕が思うに、猫の餌遣りに関わらず、そう言う常識で塗り固まった人は
その刀を必ず振り回します。
まるで自分が正しいのだからあなたの考えは間違っていると
しかしそこに検証確信はないはずです。
何故なら常識と言うのは受け売りから始まり自分で検証したものではないからです。
今の作られた餌遣り等の常識はペット産業の発展と共に積み重ねられたものに
過ぎないからです。
生き物に対する愛情の方向が全く異なる者同士の喧嘩のようなものですね。
冷静に考えればあり得ない理論がばら撒かれてしまっています。
ペットの売買禁止とブリーダーの禁止をすれば
常識は反転してしまう程度の常識ですよね。
太古の昔から生き物はそれなりの繁殖を遂げ
自然界のバランスも持ちつ持たれつであったはず
ペット産業の進出が作り上げたマナーと常識を受け入れた人達は
大自然の営みとは別の営みを最近作ったばかりなので
何万年もかかって築いた大自然の営みと比べるとまだまだ日が浅く
今の常識が証明出来るのは数万年先に通用すれば正しいのかも知れません。
餌遣りを今している人達はつい最近までは正しいものとして
扱われていたはずです。
多くの野良犬や野良猫はそう言う人達のおかげて人と暮らせるように
なったわけです。
売買の対象になった生き物はその価値さえ変えられてしまいました。
人間で比べれば差別そのものです。