猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

死について

人は死ぬとどうなる?

わからないから怖れ、忌まわしいものと思うのだろう

生の向こう側は生まれ来る前と、死の後にあって、どちらも

行き交う事は無いし、わからないから良いのだろう。

また、死は私たちが考えている事と全く違うかも知れません。

死後や生前の時間は繋がっているけれど、死後も生前も、その様子は

垣間見る事も出来ません、次元が違うからでしょう。

例え死後の世界や生前を語る人がいたとしても、それはあくまでも

こちら側の話なので同次元の事でしか無いのでしょう。

 

私の考え方は、自分の居る次元のストーリーは映画のように

決まっているのではないかと思っています。

皆さんが映画を観る時、客観的に捉えれば、始まりも結末も

決まっているのにも関わらず感動したり嘆いたりしますよね

それは結末を知らないからであり、見終わった後で再度見ても

始まりも結末も何一つ変わらない事に気付くと思います。

一人一人の人生もこれと同じように始まりがあり

結末があると考えても不自然ではありません。

何故なら現在より先は見えないだけで、その筋書き通りしかありません。

パラレルな瞬間瞬間の繋がりで結末まで行くだけです。

 

そう考えると死の観念も生の観念も私たちが考えているのとは

違う流れの中にあるようにも思えます。

 

もし向こう側から「生」へ踏み込む時

向こう側では悲しみに暮れているかも知れません。

こちら側で「おめでとう」と祝う言葉が並ぶけれどね

またこちら側から「死」へ向かう時

こちら側では悲しみに暮れるけれど

向こう側では「おめでとう」と喜びに満ち溢れているかも知れません。

 

死を忌まわしいものと考えてしまうのは生きている時間だけの

思いだとすると、死はけって忌まわしいものではなく

もっと単純に考える方が良いのかも知れません。

痛みも苦しみも無い世界と言うのは、この世の希望だったと思います

しかし現世ではそれは悲しみとしてしか捉えないみたいだけどね。

 

赤ん坊笑いながら産まれて来ないですよね

みんな泣いてこの世界に産声あげます。

何故泣いてこの世に生まれて来るのでしょう。

笑いながら産まれてくればいいのに‥‥。

 

生と死は背中合わせ

日常茶飯事

死に方は選べない

例え自殺に走ろうと

それは自ら命を絶つのではなく

死に方の一つとして与えられた形に過ぎない事を

心に留めた方が良いと思います。

どんな死を迎えたとしても、その先は安楽な時間だと思います。

 

肉親や身内で苦しみもがき手を差し伸べられなかった経験のある方は

その安楽の世界へ旅立った後の安堵は理解出来ると思います。

死は決して忌まわしいものではないのでしょう。

 

運命とは決められた時間に生まれ

決められた時間に死ぬ事です。

みんなそれに従って今を生きているはず

今より先はわからないからいいのです。