猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

闘病生活

この言葉を聞く度、僕には無理な生き方だなと感じています。

闘病と聞いただけで負けていまいそう(笑)

イメージとしては病になり、それに打ち勝つため治療に専念する

そんなイメージなのです。

その為に生まれて来たとはどうしても思えないから

闘いは多分しないと思います。

今、病に闘っている人にはとても失礼な僕の考え方かも知れません。

闘い方が違うだけなのか、闘う意思がないのかですね。

もし闘うと定義するならですが

病ではなく、病と言う恐怖感を死と言う恐怖感を

違うものに変えると言う事だと思います。

例えば癌ですと言われても、それと闘う気持ちは無くて

その癌と言う恐ろしさを植え付けられた心を変える事かな?

いつしか病は恐いものと知らされて来たのが嫌でも潜在的

心に染みついています。それを取り除くのは治療ではなく

恐さと言う誤った感情を正して行くと言う事になると思います。

つまり死は必然的なもので、100パーセント乗り越える事が出来ないと言う

確かな根拠があります。

必ず迎える死に対してどんな治療を施して完治したとしても

その後に待っているのは何れ死ですよね。

ならば死の恐怖さえ持たなければ良いと言う事になります。

死が当たり前に訪れるために病や事故や老衰ならば

病は受け入れるだけで済みます。

闘うものでは無く受け入れるもの。そう言う感覚です。

肉体的には頸椎損傷や膝の半月板損傷で手術しないと治らない

と釘を刺されましたが、ほったらかしです。

僕は診断を受けに行く程度で手術や治療のためじゃない

放って置いたらどうなるかを聞くと、医者はそう答えるだけ。

手術しないと次に首にショックを受けた場合呼吸停止するとか

脅かす言葉並べてね、恐怖を植え付けてくれる。

その時はその時だよ、呼吸止まりゃ終わるだけ。

 

インフルエンザなどもそうだけど診断受けるだけです。

薬や注射はずっと拒否しています。

診断受けるのは自分はいいけど他人に移すのが気になるから

インフルエンザなら休むと言う事になります。

他人が移っても構わないと言うなら仕事出来る程度なら行きますよ。

自力で治せない時は終わる時なんだからねそれで良し。

 

話変わりますが

ちょっとそれに引っかけて

飛行機は乗らないと決めています。

何故ならみんなは飛行機は飛ぶ物と認識しているけれど

僕の場合、飛行機は落ちる物と認識しているのです。

病の考え方と共通しています。

闘うもの受け入れるものと言う具合に捉え方が違うように

飛行機は落ちる物として捉えた場合、乗る馬鹿はいないでしょ?

みんな飛ぶ物と認識しているから乗れるんですよ。

 

これは僕の意見がきっと正しいと思います。

確かに飛んでいるように見えるけれど、科学的にもそれは

飛ぶではなく落ちる事を制御しながら浮いているだけ

制御出来なければ100パーセント落ちるの間違いなしです。

飛ぶ物ではなく落ちる事を制御し、かろうじて浮いているのです。