今回ウォーキング始めたのは、もう1年と7ヵ月になります
ここまで続いたのは野良猫さんの力です野良猫と書くのは伝わり易いからで
僕自身は家の中でも外でも猫は猫です。
出会った頃の四兄弟はほぼ独立してしまい全員が揃う事はありませんが
出会える楽しみがウォーキングを続けられる力となっています。
また人生そのものの価値観を正してくれています。
僕が思う価値観と野生の動物の生き方と符合するので
時に迷う選択もこれでいいんだと正す事になるのです。
僕らは知り過ぎている、それが故に知らなさ過ぎています。
沢山の余計な知識を知り過ぎてしまい、大切な事を知らないまま生きてると
言う事でしょう。
病などその典型の一つです。
野良猫さんは病など何の知識も持っていない
持っていない分幸せだ思います。
病と言う観念がまるでない、僕はと言うと知識はある程度ありますが
それを活用はしていないから野良猫さんに近いです。
インフルエンザも知識はあるけれど予防はしない
かかれば診断だけは受けます、要らない知識があるが故です。
しかし薬、注射完全拒否します。治るものを治療する必要は本来
無いのが当然だからです。
皆さんもそれがいつかわかると思います。
もう解っている人もいるかとは思いますけどね。
病の知識が無い猫さん(昨年10月)
この時は可哀想な目でした
そして今日
目ヤニベットリであのまま失明まで至ればそこが終点となります
治ってるでしょ?
時間はかかれど普通は自然治癒するのです。
飼い猫だと病院へ行く治療するで目薬とかね
それが当たり前になっていますが、自然界の摂理だとそれは必要ないんですね
知識と知恵に頼ると治るものも治すにとって変わるのです。
さて猫は足を舐め、その舐めた手で目を擦ります
誰が教えるわけでもなくDNAに組み込まれた動作ですね
それで治るんです。
知識とすれば唾液には殺菌作用があるのは知っていますよね?
しかし一方で不潔と言う知識も存在します
人の知識と知恵は沢山の相反する動作をしてしまいます。
医者がもし居なかったとしたら、僕らはDNAに組み込まれた動作を
するはずです、知識と知恵がそれを妨げているだけですね。
さて今日の猫さん
どくちゃん
まさかここまで進出しているとは‥‥
ここは他の猫さんのエリアの中心部です
堂々と歩いています、ここまで降りて来る事はなかったけれど
成長の証でしょう
このエリアの猫さん達が近寄って来ました。
いつも紹介するドラさんは此処の本来はエリアの猫さんです
なのでこの猫さん達とは顔見知りですが、あまり戻る事は無いようです。
さっき居た猫さん達はこの二人の居る一段下の墓地が遊び場で、どくちゃんは
そこへ入り込んでいるのです。
このまろさんは、また一つ谷を越えた向こう山が自分のエリアですが
やはりドラさんの様に今は殆ど戻る事がなくなっています。
ここからお堂へと向かうのですが、そこにはちびさんがいました
まろさんとは合わないようでまろさんが近くにいると唸っていました。
この四兄弟はまろさんは苦手なようです。
お堂を離れおかあさんのエリアへと行きました
居ました。
ぴったりくっついて来るので写真は中々上手く撮れなくなりました。
動き回るので手で止めないとブレまくるばかりです。
猫さんは知らない人を観察するかのように距離をとって
人を観察します。
猫の顔を撮るには慣れていない時が一番安定して撮れます。
あのどくちゃんの周りに来ている猫さんは馴れていないから
みんな距離を保ってこちらへ顔を向けるのです。
馴れた猫さん程顔は撮りにくいですね。
今日の猫さんロードでした。