猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

長い一日

今日の雨、元気だった頃の雨は猫歩きにとって忌まわしいものであったが

今の僕の身体にとっては恵みの雨かも知れません。

まだ元気だった頃の記憶が残っているので雨に対しての用意として

撥水系のウィンドブレーカーや雨用の靴などついつい買ってしまっていますが

実際には使用する事は殆ど無いのが現状です。

雨を理由に引きこもれば少しは慰めになるかな?


肺気腫の症状は気づかない内に悪化している病なので厄介な

病気かも知れません。

後になって振り返ればその症状の初期症状はあれがそうだったのかと

思う事も多々あります。

 

振り返れば20年前には初期症状はあったように思います。

それを年のせいだと思い込んでいたのでしょうね。

そこからさらに遡ると夢の中にそれは現れていたように思います。

その夢は苦しいのではなくその反対の夢なのです。

ラソンを走っても快調でこんなに走れるんだ

この自覚症状が出てからはさらにリアルな走りが出来る自分が

夢の中に出て来たようで走ればこんなに時間短縮して走れるもんだなあと

言うような夢が半分現実のような感じで見ているんですね。

妻にわしは走って通勤なんてあり得んよな、自転車通勤はしたことあるけど

リアル感のある走りをしている自分を感じたけれど

その走る道も定かでは無いけれど走り始めた当初は

時間もかかり苦しかったけれど最近は軽快に爽快に

時間も短縮している自分を真実の如く感じたが

よく考えるとこれまで走った事もないし歩くのも苦しいのに

あるわけないよなあ‥‥。

過去に見た夢、その頃から病が進行していてそれが夢となって

天からの啓示の様に現れたんだろうな。

青春時代であればその夢の出現に何か意味を探したかも知れないですね。


十代から二十代の初めころは夢の意味がストレートに現れ

問題解決に役立ったり予知夢的な事も経験したりでした。

走る夢で軽快に爽快に走ること自体に疑問持てば良かったかな?

多くの走る夢は逃げようとしても走れない事が多いのにねえ。


今日は恵みの雨と言う事で長い一日を過ごします。
下書きしている内に長い一日も終わりですね。


肺気腫と肺線維症の診断は昨年4月に受けたのですが

ハッキリとした自覚症状を感じたのはその前の年の秋でした。

時系列から考えると僕の運命と性格が見事に重なります。

僕の性格は元々暗く母が自殺を心配するほどでした。

また僕も成人するまで生きていられるだろうかと言う位に

悲痛な人生観でもあり、暗いのが当たり前の人生しか記憶にありません。

灰色の人生は僕に相応しくこれからもその人生観は必要なくらいです。

暗い人生って事は少しの灯りがあれば生きて行ける

明るい人生感の人は少しの灯りでは生きて行けない

それが僕の持論でもあります。

だから明るい人は自殺し易いのではないかと心配します。

 

暗いから失敗が当たり前、嫌われて当たり前、村八分どうぞ

運が悪くてもそれが自分の人生だと思えてしまう。

知らない内に芯が強くなっているように思います。

芯だけですよ。

日常では逃避ばかりしています。

 


自覚症状を感じた当初は薬のせいかな?

そう思い医者に薬を辞める事を伝えました。

 

薬のせいかも知れない。

その薬と言うのは肺ではなく糖尿病です。

糖尿の数値が異常に上がり医者が「これは見過ごすわけにはいかない」

医者は僕の薬嫌いは知ってるしこの先生も薬は最低限のものしか

出さない医者だと知ってるのでこの先生が言う位だからと了承し

薬の服用を始めた頃と息切れを感じる時期が見事に重なり

薬を取りあえずやめたのですが

運命の流れから行くとそれはたまたま重なっただけで

糖尿の悪化と肺の悪化が同時に起きただけなのでしょう。


肺気腫と肺線維症の診断結果からの経過は徐々に悪化しているようですが

どちらかと言うと肺線維症の方の悪化を僕は感じて居ます。

肺気腫は息を吐きだすのが困難になる病

肺線維症は息を吸うのが困難になる病

 

自覚症状が出始めた頃はどちらも悪かったように思います。

息を吸うとある程度吸ったところで咳き込む

息を吐き出す最後の方で咳き込むので

呼吸のストローク幅が短かったと思います。

 

現在は息を吸い込む時に咳き込むけれど

吐き出す時の咳き込みはほぼ無くなりました。

肺気腫の進行はやや遅く肺線維症の進行はやや早いのでしょうね。

 

薬に対しての僕の考え方。

例えば頭が痛い

鎮痛する一つの為に何十もの副作用を覚悟しなければいけない

これが薬を嫌う理由です。

熱を下げる

何十もの副作用を踏まえた上で服用なんてのは

本来おかしいですよね。

始めから裁判を見据えた上での人体実験に思えます。

副作用と言うこと自体、言葉として見合わないですね。

副作用=薬害と表示すべき