さあ今年も残すところ‥‥なんて言葉は僕には似合わない言葉なのです。
そう言う区切りケジメはなくて今日から明日の繰り返しなので
一年のどこを切り取っても同じようなものです。
盆、正月、ゴールデンウィーク他のイベントバレンタインデーだとか
ハロウィン、クリスマス等も僕の人生にはあまり必要も無くて
一日一日を猫さんのように一生懸命生きるだけです。
後は運命論として自分が流れて行く時間に任せるだけですね。
僕には区切りが無いのだけれど運命について考える時、皆さん方の
イベント時間は色々と考えさされる事があるのではと思います。
帰省などの大移動は日常には無い特別な時間でいつもと違う流れに
乗ってしまいますね。
帰省したりするのは当たり前の様ですがそれがあるのと無いのでは
随分と違った世界になると思います。
さて今日の猫さん
光量不足が続きます。
補正前の写真と並べるとよくわかります。
一枚でも綺麗に撮れたのがあれば普通に使えるのですが全部がピンボケだと
こうしてわかる程度の一枚を選ぶことになります。
没写真として取り上げないのはもっと酷い写真だと言う事ですね。
8時過ぎには娘を見送るのでじゅんやのところからは家に戻るだけです。
そして娘を見送った帰りに
あーちゃんのエリアへ
反対側に居る猫達に見られない様に死角に入るところまでイチと上に行きました。
そして上の墓所へと
墓所の反対側で
ここから4兄弟のおかあさんエリアへと車で移動
おかあさんはギャルオが嫌なのか戻ってしまいました。
昨日今日とビリギャルさんが見えません。
お堂で
ヘアピンカーブへ
石材店裏で
運命は一秒の狂いもないのが凄いなと思います。
そしてその行方も誰にも分らないのが運命。
一秒刻みで過去へ戻ると通った軌跡は微動だにしないように
これから未来へ向けても同様です。
過去の事故なども変えようとしても変わらない様に
未来への軌跡も決まった時間軸の中で躍動しているので
変えようがないですね。
変えたつもりの軌跡も既に組み込まれているようなものです。
決まっていたとしても誰にも分らない未来こそが素晴らしいのです。
病もそうですが分らない方が素晴らしい生き方が出来るのかも知れないですね。
妙に分かると未来を変えようともがくばかリの運命となり
生きている意味さえ価値観が変わるでしょうね。
猫さん達は毎日を自由に過ごして居て生きるのに一生懸命です。
そんな猫さん達が素敵だなと感じています。
見習うべきこと教わる事なんと多いことか。