僕は運命論者で決まった運命は変えられないと言うのが根本にあります。
多くの方は運命は変えられると思っている事でしょう。
多くの方は努力で自分の人生は変わるだとか思う事でしょう。
それは運命ではなくただの流れの中の時間だと思います。
夢は叶うだとかの論理も運命とは呼べないし、努力で実ったり
勝ち取るものでもなく変えられない事そのものが運命なのです。
僕は毎日のように猫さんロードを歩いて色々な猫さんと出会いますが
これも全て運命なんですね。
この時代のこの時間に僕が居て初めてこの猫さん達と会えるんですね。
永遠と思われるような時の流れの中でこの猫さん達と出会うのは
他ならぬ運命の仕業でしょうね。
僕自身が生まれる為には両親が居なくては存在できません。
その両親の運命の中に居て初めて僕が存在出来るわけなので
どこまで遡っても今のこの時間に僕が存在する為には
最低限ビッグバンまで遡りそこから僕の運命の流れは始まっていると言う事です。
時間はずっと繋がっているのでどこかを切り取って失う事も出来ません。
アメーバーのような下等と言われる生物から人類までどの部分も必要であり
途中から始まる何て事は無いのでこの世の始まりから運命は物語のように
繋がっていて今、僕が見て居る猫さん達は奇跡であるくらいの出会いです。
人間の感覚からだと奇跡ですが実際は決まった運命なのでお互いが
色々と学び合っている事でしょう。
いつもの事ながらその時、何故あなたはそこに居るのか?
その答えが運命論みたいなものです。
映画のフィルムの様に逆回し出来ればあなたの人生も1秒のズレもなく過去の
流れがある事でしょう。そして誰から生まれ、どのように育ち、
どのように死にゆくかも当然決まっているのが運命論です。
どのように死にゆくか変えて見ますか?変えられますか?
それは不可能ですね。
死に様が解らないのに変えられるわけがないですね。
両親が苦しまずに死ねるよう配慮しても
あなたが生きている限り今世では今のところ殺人ですね。
運命は変えられないものです。一緒に死のうと一人で死のうと
変わりません。
5時40分
一路家路へ
家に戻り7時過ぎに妻を見送りその帰りに車で回りました。
4兄弟のおかあさんエリアからお堂方面へは歩きました
石材店裏で
車に戻りあーちゃんのエリアへと向かいました。
墓所を抜けると
一路家路へ
この猫さん達とこんな形で出会うのは今の時代に僕が居なくては出会えません。
皆さん方も運命について色々考察するのも良いかと思います。
この世の始まりから流れる時間の延長が今なのでそんな時間を少し後戻りして
自分の過去を振り返るのも良いかと思います。