僕は思春期の頃から社会に対して大人に対して背を向け逃避し続けたように思う。
信じるものが何も見当たらないんだね。
偽善に覆われその様を見るのが嫌だったんだと思う。
真実や正しい事が何なのか知りたかったんだと思います。
今もその延長線上に僕は立ち続けている。
多分皆さん方とは別方向だと思います。
人間社会に居ては真実や正しい事は見えるはずがありません。
多分90%は嘘の世界です。
それ以上かも知れません。
僕が深く傷付いたのも嘘の証言からです。
ずっと以前にも書きましたが幼少時の桃泥棒です。
友達に声をかけられ桃畑に行きました。
おじさんに叩かれ学校まで髪の毛を掴まれ引きずられました。頭皮がハゲるのではないかと言う程に強烈な痛みでした。
友達は僕が桃を盗りに行こうと誘った
そう言ったのです。
それを信じた先生は僕の話も聞かず
これから家庭訪問に行くと言いました。
僕は桃の事ですか?と言うと先生はただの家庭訪問だと言いましたが不安なので先生に
桃の事は言わないで下さいと言うと優しく
それは言わないよと言ったんですね。
先生が来た時、奥の部屋に隠れドキドキ、心臓が破裂しそうなくらいでした。
先生が開口一番
「今日〇〇君が学校の横の桃畑に……」
これが僕の人生の始まりでもあり
全ての大人との関わりを持ちたくない
また友達の嘘がどれ程僕の人生を変えてしまったのかは友達も先生も知る由はないだろう。
その後何故か嘘に出会うんですね。
友達の嘘に寄って中学時代はどれだけ
先生に叩かれただろう。
高校卒業してJRに勤務していましたが
そこでも嘘で濡衣、結果は自己都合退職しました。
嘘とは兎に角、縁が多い、そう言う
流れに乗ってしまう運命なのでしょう。
言っていい事と悪い事の分別も恐らく皆さん方と僕は違うのだと思います。
僕としては言わなければいけない事も多くの人の中では言ってはならない事となるようです。
その内容は説明するのももうウンザリです。
言ったところで何も得るものもありません。
一つだけ言えるのは死にゆく事に安堵と言うか嘘の世界から脱する事が出来るんだと言う安堵感のようなものがありますね。
やっとこれで荷が降りるってね。
政治も芸能も全て嘘に近いしね
それに比べりゃ死の領域はそんなものは無いでしょう。
猫さんロードの猫と比べると
人類がどれ程にくだらない生き物か
そして自然界に生きる動植物がどれ程、素晴らしく尊いか学べます。
そんな生き物に認められる人間で在りたいと
思います。
また生き物好きの人類は心が広く豊かです。
そんな人類が多ければもっとこの世界に憧れと執着を持ってもいいかな?
多くの仮面被った皆さん方がいる限り僕に取っては死が憧れの世界となる事でしょう。
自殺願望者ではありませんよ。
生きる事に一生懸命なのです。