猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

過去記事から 僕の人生ロード

いくつかの記事を掲載しますのでタイトルは

嘘、自由、マナー、ルール、権力、etcとでもしておきましょう。

僕がどんな人間性か何となくでも解かればと思います。

 

 

それは幼少の頃に始まった、事の起こりは桃泥棒だった

以前にも書いた事があるが、友達に誘われたのだ

校庭の横に桃畑があり、その桃を盗りに行こうと誘われたのだ

断っておくが誘われたのは僕なのだ。

そして見事桃畑のおじさんに見つかり平手打ちを受け髪の毛を

持って引きずられて学校へ連れて行かれたのだ、その時引っ張られた髪の毛が

頭皮が千切れるのではないかと思う程痛かったのは今でも忘れない。

そして学校で先生に桃を盗った事を告げられ説教をされるのだが

そんな事はどうでもいい事だった。

何故盗りに行ったのかを聞かれた時、友達が僕を名指しで

〇〇君が盗りに行こうと誘ったからと答えたのだ

僕は否定したのだが先生は友達を信用したのだ。

僕は怒られるのは承知していたし悪い事だと言う事も承知していた。

しかし嘘の証言をした友達に対して凄く嫌な感じがした。

また先生もそうだ、何故真実を確かめようとしないのだ。

盗る事は悪い事なのでおじさんに引っぱたかれても当たり前だし

少々手荒い事しても仕方ないと思う。

しかし嘘はいけないのだ。

また先生はその日、これから家庭訪問に行くと言ったのだ

僕は桃泥棒の事を言いに来るのだろうと不安になり

桃の事は言わないでとお願いした。

すると先生は普通の家庭訪問だから大丈夫よと言ったのだ。

それでも不安はぬぐい切れずドキドキしながら隣の部屋に隠れ

耳を澄ませ盗み聞きしたのだった。

先生は開口一番、今日〇〇君が桃を盗った件について来ました‥‥‥。

それは小学校一年生の時だった。

友達も先生も信用する事がなくなった。

今も忘れない友達の名 よしだ

今も忘れない先生の名 さかもと

でもねいいんだこの後ずっとそんな嘘の中で過ごす内

人は信用出来ない生き物だと確信する事が出来た。

嘘の世界が周りにずっと広がっていたから

普通の人って嘘をつくものだから信用しない付き合わない

その方が正直者の僕には相応しい生き方なんだなと思った。

ずるいずるいのが人の世界であって、僕の様な正直者は

猫さん相手にしていた方が心も汚れないし正直に接する事が出来る。

人を立てたり、お世辞言ったり、うまくやろうとするよりは

自然の生き物の方がずっと気楽に接する事が出来るもんね。

嘘の言葉で僕は結構苦しめられたもんね。

中学校の時も掃除サボって遊ぼうと誘われ友達4人と掃除サボり

遊びに行った、翌日先生に呼ばれなんでサボったと聞かれ

僕だけか遊びたかったからと応え往復ビンタ喰らった

後の三人は理由をつけた、家に用事があるので早く帰ったとかね

本当の事を言った僕だけが引っぱたかれた。

嘘をつく方が悪いはずなのに許されて僕は叩かれた。

 追伸

叩かれた事に対しては当たり前だと思っているし暴力とも思っていない

サボっておいて叩かれても当たり前だと思っている。

本当の事を言わない友人の方が悪いのだ。

 

 

校舎の上から誰かがゴミを捨てた時もそうだった、僕は見ても居ないから

ゴミを捨てた事さえ知らないのに誰かが〇〇が捨てるのを見たと先生に

告げたのだ、僕は何も知らないまま職員室に呼ばれ拳骨で腹を殴られたんだよ

息も止まるよ、知らないと言っても殴るし嘘を言うなとケツバットまでねえ

世の中って多数決みたいなもんだよね一人で何を言っても複数が

証言すれば悪者になるんだね。

いじめだよねえ。

 

国鉄に入った時もそうだった目をつけられるとヤバいよね

事の発端は国鉄には組合があり、動労国労だったかどっちかに

入れと先輩方が新入に言ってきたんだよね、新入生は12人いました。

その中で一番威張りたいような人が先輩に誘われても組合には

入らない様にしようぜと言ったね、みんなそれに同意した

勿論僕もみんながそうするのならいいよってそしてそいつはみんなに

約束だぜ先輩来ても断ろうぜだった。

僕の認識は約束は守る事である。

 

権力

権力と言うのは優位に立つ者が下位に向かって理不尽な振る舞いを行う事だと

僕は思っている。それは一番醜い心の在り方だとも思っている。

これから抜け出すのは容易ではない事も有る程度理解は出来るが

それに屈するのは人として失格だとも思っている。

いじめなどの構造もそうだが、下位に居る者達全員罪深い人種だと思います。

見て見ぬふりをする人達もいじめの加担者に見えてしまうのだ。

子供の時から僕は正しい事が通らない世の中に嫌気がさしている

今もそうだ。

正しい事も権力によって捻じ曲げられたリする

そしてそれが悪とされてしまうのだ。

テレビや報道なども同じ構造なので、まともに見た事は無い

何故ならヤラセがあるように正しい事よりも視聴率等が優先されたり

語りたい事も語れない、書きたい事も消されてしまうような構造に

正しいものはないだろう。

会社勤めを長くして来たけれど、正しい事を通そうとすれば

綺麗ごとだと一言で終わってしまう構造にはとても馴染めない

会社勤めでも会社のやり方を批判すると悪者にされてきた

会社自体が個人的な利益にするため社員を利用していた事がわかったので

その仕事を放棄した事がある。

会社もバツが悪かったのか翌日から社員ではなくバイトを雇って

その仕事をやらせていた。

後に事務員の証言で一部の管理職がその金を何十万ずつか手にしたとの

情報も得た。

別に個人個人が利を得るのは構わないけれど

説明位しろよ。タダ働き同様にそのための残業をさせるなよ

その後僕が取った行動はその仕事さされた3人を

毎日一人ずつ休ませると言う反逆をしたね

それを咎められたけどね、二人だけでもこなせるのだと言う

証明をしただけです。

会社に損失を与えず時間内に二人でも出来ると言う証明ね

のらりくらりとやってんじゃねえよと言う管理者向けの抗議だけどね

わかるわけないよね僕の言いたい事なんてねえ。

 

僕にはっきりわかるのは権力者って一人じゃなんにも出来ないって事

優位な位置から人を軽く使うなって事です。

組織って大抵そんな構造だしね。

辞めた時点で立場が逆転するような構造の中で威張り散らすなって

口に出てしまうのだ。

それが正しい物の見方なんだけどね

保身のために生きた事がないから彼等や見て見ぬフリする奴らは

同じ穴のムジナに見えてしまう。

 

政治家が嫌いなのもその価値観から来ているのだ

長い物に巻かれる主義は国家として認めたくもない。

その国民でもありたくはない。

国民から外してくれんかなあ。

この星の一住民でいいや。

 

権力を振るうものはくたばれ!!

 

結婚とは何だろう?

時折流れて来る皇室に置いての報道

好きな者同士が結ばれない方が不自然と言うものだ

そこにもルールやマナーが混在して支離滅裂になってしまうよね

ましてや周りがあれこれ騒いでも支離滅裂を混ぜるだけの大迷惑

もっと心を研ぎ澄まして本当の幸せって事を考えたいものだ

僕は運命論者でもありますが自由主義者でもあります。

ルールやマナーの中に自由はありません。

 

結婚が家と家の結びならば家と家が結婚すればいいだけ

子孫も残す必要はないよね。

誰かの結婚に僕らが口を挟む必要はありません。

攻撃はレイプに匹敵する。

他人の幸せは喜ぶだけでいいじゃないか

当人同士の心の中に入ればきっと誰も口は挟めないと思うよ。

心に入り込みもしないでとやかく言う人はルールとマナーだけ

食べて生きなさいよ。

 

この世界の仕組みの中で結婚への圧力が大きければ

答えは決まってしまう。

死ぬか、一生結婚をしないと決めるかのどちらかです。

それは愛情の大きさによって少し変わると思います。

死ぬは最大の愛、

一生結婚をしないも最大の愛です。

諦めるは最小の愛

それでも結婚するは超最大級の愛ともとれる。

 

スキャンダルも意図を感じました。

壊すための道具のようにも感じました。

それを耳にして誰が得するのでしょうね?

たかが結婚です。

自由と平等精神あればいいだけ。

 

小さなことにこだわり過ぎ

それがルールとマナーの狭い狭い世界の出来事です。

それを拡大解釈すればこの世に結婚資格を持つ者さえ存在しなくなります。

僕の孫たちが結婚するのに「お前の嫁は、婿は人殺しの親の子

結婚はならぬ」だとかねえ。
結婚 ルールマナー


戦争に参加した国民の子は僕を含めて取り合えず人殺しの子さ

それはいいの?ってなもんだ。

たたが親の借金、その時は頂いたのかも知れないお金の話

そんな小さなところで実情もあやふやな事柄を知らない僕たちが

上辺の話だけでどうのこうのとはおかしな話。

 

僕自身は子供の結婚については好きなものと結婚すればいいと

言って居ました。好きなもの何だからそれは物でも者でもいいって事だし

豚でも猿でも犬でも良しって事でもあります。

性別も問いません
好きなものと結婚する事が望ましい。

例え離婚しようがそれは僕の問題ではありません。

反対などは先ずしないですね。。

相手の親がどうのなんて全く感知しません。

それぞれの人の気持ちを尊重し、行きたい方へ行けばいいだけ

それをそっと見守るのが良いと思っています。

 

殆どのあんたは人の事をとやかく言えるだけの立派な生き方は

していないと断言致します。

 

注釈 ストーカータイプとDV志向タイプに限っては阻止します。

 

 

自由とルール マナー

僕の価値観は一般の人とは違うと思っています。

全てが自由と言うスタンスからその選択が僕にかかっています。

そこにルールやマナーは無用、法もまた無用。

かと言って無法ではないのです。

全て自由の中から良い生き方を教えられるのではなく

自分で悩み考え答えを出して行く、そんな世界観だと思っています。

一般の方は生まれた時から教えられたり風習だったり家風だったり

法やルールー、マナーに乗っ取って、言い換えれば用意されたものに

便乗しているだけなのかも知れません。

ただそれでは時代の背景と共に答えがコロコロ変わってしまい

何が正しいのか不透明となってしまいます。

先人と言うか宗教家や色々な人が人としての在り方などを

考え悩みそしてそこから何かを見出しただろうと思われます。

僕もまたそのような流れに自分を置いて人の在り方など模索しながら一生を

終えるだろうと思います。

基本は自由ですけどね、自由とは何でもありです。

殺人も慈善も全てその中にあります。

僕らが出来る事はその中から良い選択をするって事でもあります。

殺人が自由なんてのは不謹慎ではありますが僕の世界観では

自由です。

選ぶのは自分自身なのだからね。

戦争などは殺人容認の方を選ぶ結果なので殺人の自由を選んだって事です。

そう言うちょっとした事でも深く考え何が正しいのか選択しながら

生きる事が大事な事では無いかと思います。

用意された常識、ルール、マナー、法が正しいなんて思っていたら

大間違いだと思います。

 

校則なども深い中心部には何が隠されているのか法もまた同様です。

例えばスカートの長さ化粧の有無なんてくだらない決めごとです。

そこに何故?の意識を持って自分で答えを出すのもいいと思います。

僕は大人達(教師など)には指摘されるとこう答えたりしていました。

そう言う説教は盲学校で声を大にして激を飛ばしてくださいなんてね

髪の色がどうの髪の長さはどうの‥‥。

もっと大事なものがあるでしょ。

ベートーベンの素晴らしい楽曲も聴覚障害の人に

この楽曲は良いだろうなんて言わないですよね

それと同様で目の不自由な方にこのファッション素敵でしょなんて

言わない様にもっと大切な事があるでしょ。

まあ若い頃から大人とはこう言う屁理屈垂れてお前はおかしいだとか
ルールマナー


普通じゃないとか散々言われて来ました。

その根本は今も変わって居ません。

用意されたような答えはあまり聞きたくないのですね。

 

冠婚葬祭あれば相場がどうのこうの

みんな人並みを選びすぎです。みんなと同じが安心なのでしょうね。

冠婚葬祭の決めごとなども用意されたものより

もっと以前に大切なものがあります。

そんな大切な事を皆さん方には自分で考え答えを出しながら

生きて欲しいと願います。

そう言う事に対して疑問を持ち自分の中で答えを出して行く人が好きです。

例えそれが行動や言動に出なくてもです。

 

自由大好きです

だからノーマスクでも、消毒液用意されていなくても

アクリル板など無くてもそれを冷ややかな目で見る心は持ち合わせていません。

そう言う細かな事ことごとくやってくどくど言うのも異様です。

コロナ以前の姿に元すのに周りの目を気にするより

もっと大切なもののために心を費やして欲しいものです。