猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

故郷の想い出

僕の故郷は九州、大分県の山奥でした。貧困家庭でしたね。

兄弟は4人でありましたが最初の長女は生後19日目くらいで亡くなったそうです。

その後現在の長女に当たる姉が生まれ僕が長男として生まれました。

母は広島出身で父と軍隊で知り合い結婚したのだと聞きました。

父は堅物で軍人魂が強く、また正義感に溢れ終戦後は町に戻るとチンピラなどが

町にはびこっているのを情けなく思いチンピラ狩りと言うか軍人に召集される前の

町の姿にしようとのさばっているチンピラを排除したそうです。その勇敢さが

町中に知れ渡り田舎町で父の名を知らぬものは居なかったそうです。

 

故郷の想い出で記憶に残るのは僕には姉と弟が居るのですが

母には姉夫婦が広島にすんで居て子宝に恵まれず養子が欲しいからと

広島から僕の住んでいる田舎へ訪れ子供を一人養子として出してくれないかと

話が来たそうです。

その姉夫婦は経済的にも恵まれ僕のうちは食べて行くことがやっとの生活で

ご飯が食べれない時は父の姉夫婦にお米を借りたり団子汁やお

粥ばかり食べていました。

そんな事から養子でも他人ではない事から僕の姉が5年生の頃

まあ貰われて行ったんですね。しかし一年後「難しくてとても育てられそうにない」

と相談が有り結局姉は舞い戻る事になりました。多感な年頃の姉では

無理だったのでしょうね。

その後赤ちゃんからなら育てられるので産んでくれないかと打診があり

それが弟なのです。

僕と弟の年齢が7つ離れているの本来、産む予定の無いはずの

生誕ですね。

しかし生まれて来る子が女の子だったら養女として

男であればうちが育てると言う流れでしたが母の姉夫婦は結婚して10年

子宝に恵まれなかった事からどうしても子供が欲しかったのでしょうね

広島から来てどうしても欲しいという事で協議したあげく

養子として広島へ行った方が将来幸せではないか?

これが貧困家庭の現実なのかも知れません。

 

弟は一歳になる前に貰われて行きました。その三年後、その姉夫婦に子供が

出来たのです。

さて貰い子と我が子となるとどちらが幸せなのだろう?

弟が三歳の時に引き取る事になりました。

僕が貰われなかったのは長男だったからでしょうね。

姉は難しく、弟は実の子が生まれた事からわりと揉める事も無く

戻ったようです。

ただ弟もまだ言葉もわからない乳児の時に貰われて行ったのですが

僕の家族が広島に来て初めて弟に対面した時、言葉も話せなかった

弟が父を見た瞬間に「おとうちゃん!」と言って走り寄ったんですね

その時はどちらも唖然とした様子だったのです。

 

僕が記憶に残る最後の弟との別れの時の光景です

田舎の駅前の橋の上で母が弟を抱いて号泣していのが鮮明に今でも残っています。

二つの家庭で過ごした姉と弟は僕とはまた少し違うように感じたりする事もあります。

また姉も弟も二人の父と母を持つ事で僕とは違うものがきっとあるでしょうね。

 

母は53歳で他界し、父は72歳で他界しました。

僕は現在70歳ですがいつでもその時が来れば良しの心づもりです。

その先なんて考えるだけのものはありません。

元々夢や希望などとは無縁だったし、これからも無縁です。

ああなればいいこうなればいい、ああしたい、こうしたい

そんな事を思うよりは今を精一杯楽しんでいたいですね。

楽しみの中で最後を迎えるだけです。

 

希望や夢も欲のひとつであります。