猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

回想録

今日は夜勤明けで雨、午後には雨も止むという事で妻も娘も休みで朝は買い物など

家の事を済ませ午後は孫たちが来ていましたが途中から寝てしまいました。

目が覚めると誰も居ませんでした。

静かなのでまたひと眠り、目が覚めると五時でした。

歩きたい気持ちもあるのですが身体が引き止めたようです。

このところ疲れやすいと言うか季節のせいか勢いが無いので

明日があるさと身体を休める事にしました。

明日もまた夜勤だし日曜日はバンド練習もある事だし無理はしない方が得策。

 

色々と過去を振り返ってみました。

幼少の頃は九州で育ち10歳で広島へ転出

当時父の容体が良くなくてその年の夏は持ちこたえるかどうかとの事で

母の里、広島へと引っ越ししてきたのです。

その年に僕の妻は産声あげていたんですね、運命の始まりと僕の今の人格は

ここから形成されたように思います。

中学、高校と僕の存在感は恐らく多くの人の記憶はないだろうと思います。

それほど目立たない存在なので存在感の薄い奴として記憶に残った人は

居るかもしれませんね。

大人しい、真面目な反面、社会への反抗精神は強かったようです。

恐らく三角構造の底辺で大人社会の偽善の匂いを感じていたのでしょうね。

また父の存在が大きすぎました。

父もくそ真面目で反骨精神旺盛でその三角構造の底辺に居ても

頂点と対決するような人でした。

つまり他の親や大人とは一線を画す存在でした。

他の大人は目下には強いが目上には弱い姿です

それを僕は嫌っていました。

僕の父は誰よりも強い男と言うイメージしかないのです

その背中を見て来た臆病者の僕は大きな負担を感じながらも

強い者に背を向ける事は許されないようなプレッシャーですね

父の影響が如何に大きかったかと言う事ですね。

背を向けるなら死んでしまえ。

そう聞こえるような躾だったのかも知れないですね。

ヤクザや包丁持って乗り込んで来るような男たちにも一歩も引かなかった父

その姿を見て育った僕が強い者に背を向けたら怒鳴られ張り倒されます。

それでなくとも子供時代「ちょっと待って」の一言でビンタ喰らわされたり

足蹴にされたりしていました。虐待じゃありませんよ

虐待と言うのは立場の弱い者にだけ働きかける行為です

父は強い奴にも立ち向かう人なので子供心にも虐待などの感覚はありません。

むしろずっと尊敬の眼差しで見ていました。

僕のような臆病者でもその性質は受け継がれてはいるようです。

それはそれできつい事ではあります。

父には当たり前の事でも僕は何倍もプレッシャーかかってしまいます。

だけど負けるわけにはいかないですね。

 

父と違うのは言葉の使い方かも知れません

臆病なぶん、言葉で対抗するような技量はあるのかも知れませんね。

直接対決しないまでも言葉で負かす。

命令系で来たら従わないような性格です。

お願いされたらさっと動きます。

 

若い頃運送屋の助手で初日に先輩に言われたこと

「お前と来たら日が暮れるわ」

返答は「日が暮れるわけない」です

先輩がお前はとろいと言えばいいのにね

形容で言われれば形容で返せば僕の返答が正解です。

半年後その先輩は「ちょっと休ませてくれ」と言いました。

仕事の早さをとにかくしんどくても二度とあの言葉をくりかえさせないため

必死で頑張った成果が「ちょっと休ませてくれ」でした。

 

筋を通すのが父だったので僕もまた筋が通る生き方を選んで来ました。

多くの大人は筋が通っているようでどこかでそれが通らないのです

その通らない所を見つけてしまえばこちらのものです。

 

ある会社でも僕は土日は休日返上して働くのだからと

土日だけは私服で仕事していました。

それを指摘された時、土日は自分の時間なんだからといいじゃないですかと

答えると何だかんだと説教されましたが既にその時仕返し場面を

頭に描いていました(笑)

夏の暑い日構内作業で上司が上着脱いだんですね

走って行って「制服ちゃんと着んさいや制服の下は私服じゃないか

あんたわしに私服辞めろとゆうたじゃろゆうたあんた自分がそのざまか」

上司は慌てて制服着ていました。

何も言わなきゃいいものを‥‥。

また最後に付け加え一発かましたのは

「わしの弱点一つ指摘したらあんたの弱点20は見つけるので気をつけんさい

仕事時間含め一日24時間の弱点も見つける。わしは24時間真っ当に生きてるから

どこを拾って来ても汚点はない」

人間って色々なところに弱点があります

よほど真っ当に生きて居ない限り私生活に弱点出たりね

僕が上司に詰め寄るときはかなり色々その弱点握った時が反撃ですね。

問答で言葉が詰まるところまで行ったらそれで良しです。

いずれその仕打ちは仕事で返されたりしますがそれていいのです。

回想録と言っても沢山あり過ぎてとても書けないですね。

夜勤明け仮眠はとりましたが気力はここまでです。