猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

自由の選択

僕の価値観は一般の人とは違うと思っています。

全てが自由と言うスタンスからその選択が僕にかかっています。

そこにルールやマナーは無用、法もまた無用。

かと言って無法ではないのです。

全て自由の中から良い生き方を教えられるのではなく

自分で悩み考え答えを出して行く、そんな世界観だと思っています。

一般の方は生まれた時から教えられたり風習だったり家風だったり

法やルールー、マナーに乗っ取って、言い換えれば用意されたものに

便乗しているだけなのかも知れません。

ただそれでは時代の背景と共に答えがコロコロ変わってしまい

何が正しいのか不透明となってしまいます。

先人と言うか宗教家や色々な人が人としての在り方などを

考え悩みそしてそこから何かを見出しただろうと思われます。

僕もまたそのような流れに自分を置いて人の在り方など模索しながら一生を

終えるだろうと思います。

基本は自由ですけどね、自由とは何でもありです。

殺人も慈善も全てその中にあります。

僕らが出来る事はその中から良い選択をするって事でもあります。

殺人が自由なんてのは不謹慎ではありますが僕の世界観では

自由です。

選ぶのは自分自身なのだからね。

戦争などは殺人容認の方を選ぶ結果なので殺人の自由を選んだって事です。

そう言うちょっとした事でも深く考え何が正しいのか選択しながら

生きる事が大事な事では無いかと思います。

用意された常識、ルール、マナー、法が正しいなんて思っていたら

大間違いだと思います。

 

校則なども深い中心部には何が隠されているのか法もまた同様です。

例えばスカートの長さ化粧の有無なんてくだらない決めごとです。

そこに何故?の意識を持って自分で答えを出すのもいいと思います。

僕は大人達(教師など)には指摘されるとこう答えたりしていました。

そう言う説教は盲学校で声を大にして激を飛ばしてくださいなんてね

髪の色がどうの髪の長さはどうの‥‥。

もっと大事なものがあるでしょ。

ベートーベンの素晴らしい楽曲も聴覚障害の人に

この楽曲は良いだろうなんて言わないですよね

それと同様で目の不自由な方にこのファッション素敵でしょなんて

言わない様にもっと大切な事があるでしょ。

まあ若い頃から大人とはこう言う屁理屈垂れてお前はおかしいだとか

普通じゃないとか散々言われて来ました。

その根本は今も変わって居ません。

用意されたような答えはあまり聞きたくないのですね。

 

冠婚葬祭あれば相場がどうのこうの

みんな人並みを選びすぎです。みんなと同じが安心なのでしょうね。

冠婚葬祭の決めごとなども用意されたものより

もっと以前に大切なものがあります。

そんな大切な事を皆さん方には自分で考え答えを出しながら

生きて欲しいと願います。

そう言う事に対して疑問を持ち自分の中で答えを出して行く人が好きです。

例えそれが行動や言動に出なくてもです。

 

自由大好きです

だからノーマスクでも、消毒液用意されていなくても

アクリル板など無くてもそれを冷ややかな目で見る心は持ち合わせていません。

そう言う細かな事ことごとくやってくどくど言うのも異様です。

コロナ以前の姿に元すのに周りの目を気にするより

もっと大切なもののために心を費やして欲しいものです。