2011年3月に初めて愛宕神社と出会い
その年には6度も行っていました
3度目の時に目をしたのがこれ
これを調べて行くうちに自然と神社探しが始まったんですね
この石は「標石」と呼ぶそうです。
愛宕神社まで行くのに本来は一丁~十五丁まで道しるべとして在ったと記されていて
さて一丁は何処に?
探し歩く事から神社巡りまで発展したのです。
実際に在ったのは一丁、二丁、五丁、八丁、十五丁でした
ただし十五丁は町の公民館の前に保存されて居ました
現在五丁は既に無くなり八丁は恐らく公民館に保存されているのではないかと
思われます。
この標石を探して色々町の人に聞いたりして居た時にも
「発喜会の方ですか?」と何人かの方に言われました
僕とは違う形で町のものの史跡などを調べて後世に伝えようとする会のようです。
神社への道しるべ作ったりその神社の謂われ等を看板に書き連ねたり
こちらはちゃんとした目的のある会なので気まぐれに聞き歩く僕とは
違いますねえ。
何故この神社だけに標石があるのでしょうね?
先ず公民館に保存されている十五丁
大年社の事を尋ねて公民館を訪れた時に我が町の史のような本があり
「これに何か書かれいるかも知れません」と手渡された時に
愛宕神社の八丁の標石の事を聞いた時「ここに十五丁があります」と案内されました。
その時に写したものがこの写真です。
一丁、二丁は今もありますと聞き参道を下から歩いていて初めて気づきました。
二丁は元々石垣でしたがブロック塀にする時に残すために埋め込んで
貰えませんかと言う話があり残したそうです。
ここから標石探しは始まったのですが三丁は既にありませんでした
ここも石垣を作り直したそうですが工事の後しばらくは道端に
三丁が転がったまま置かれていたがいつの間にか無くなっていたと近所の方が
言われていました。
わざわざ四丁あるよと案内してくれたのですが
「あれ?前はここにあったのに無くなってる」そう言う場所でした。
これは何度も歩いたのに中々見つける事が出来ませんでしたが
聞き歩いて目を凝らしてやっと見つけた標石ですが現在はありません
九丁から十四丁は未だわかりませんが十一丁は現存していたようです
しかし愛宕神社参道そのものが変わってしまいその標石のある場所を
通る道は既に無くなっていると思います。
始めて登った時入り口で迷い真っすぐ感覚的に登って行き止まりとなりましたが
その道が恐らくは元の参道の一部であったと思われます。
後に砂防ダムを建設するために参道そのものが谷の下となったものと思われます。
それは幼少時代に十一丁と記された石のところが水飲み場だったと言う事から
元の参道は水の流れるすぐそばという事になると現在の参道は尾根側にあるので
谷の水の流れる脇道だったという事が考えられます。
また入り口付近に在ったと言われる鳥居も現在はない事から
砂防ダム建設で撤去されたのでしょうね。
史跡等は在れば在ったで歴史の流れが語り継がれ色々な事柄が
呼び起こされるのでしょう。
長い年月の間にはその歴史の存在すら忘れ去られてしまう事でしょう。
忘れないために保存する事もいい事かも知れませんが
忘却もまた良いものです。
執着する事なく新しい道を楽しむのもいいですね。
それが朽ち果て失せてもいいじゃないですか。
殆どの社は朽ち果てたり移動すると別の社に合祀などと記されていますが
その地に住んで生活の一部となった社はその当時の人達には
思い出として残りとって付けたような合祀の社に
思いを馳せる事はないでしょうね。
何者も唯一であり代りになるものは無いように思います。
愛宕神社との出会いは僕に色々なところへと導きましたねえ
けっこう楽しくあちこちと動き回ったものです。