価値観を変える事で視野は広がるものだ、野良猫の寿命は短いと言われ
またその短い猫人生を不幸へ導くのが僕らのような常識外れ者と言われる
人達だろうね。
不幸な猫と言うのも人の勝手な価値観であり猫さんは少しもそんな思いを
抱いて生きてはいません。
例え4~5年の命であろうと20年であろうとそれを思っていたら
生きているとは言えない。
今を生きる事が全てです。
それは人に当てはめても同様と思える価値観を養いたいものですね。
長く生きる事や病気などを恐れながら生きていては生きると言う意味は
あまり無いのではないかと思います。
生き物は自然淘汰の流れで自由に生きる事こそ生きている意味がありそうです。
天変地異も含め自然の流れは人類の力ではどうする事も出来ません。
あまりそれに逆らい不自由に生きるよりは自由に生きる事が望ましく
制約の中で小さく生きてもそこにあるのは不自由な生活だけです。
学習能力とは都合よく生きる事ではなく楽しく生きる事が大切ですね。
近代はグローバル社会で情報過多になり過ぎて不自由極まりない世界です
そんな中で百年生きたって得るものはありそうにありません。
管理社会は不自由を正当化するだけのつまらない世界かも知れません。
自分の足で歩いて行ける範囲が本当の世界で車や船、飛行機
はたまたロケット等は必要以上の要らない世界でもあります。
その足が自由の無いグローバル世界を広げてしまいましたね。
男女の愛も束縛、独占欲の中で愛が育つはずがありません。
愛はどれだけ自由を与えられるかと言う価値観を持ちたいものです。
束縛は愛の欠片も無いような気がします。
自由を与える事が真実の愛に近い形です。
その与えて貰った自由をどう使うかがあなたの愛情です。
愛情が無ければ頂いた自由を悪い方向へ行くようであれば
あなた自身に愛情の欠片も無いって事でもあります。
そんなあなたは要らないよ。
みんな抱えて写したのですが後は使えないくらいのピンボケでした
もうみんな上へ来るようになりましたね
昨年の子猫はこの子達より大きくなってから初顔合わせだったので
この光景になるまで少し時間がかかりました。
今年は早い時期に出会ったのですっかり慣れました。
今日はここからクロさんのエリアへ向かいました
クロさんはここでは控えめです、後から入ったからなのか遠慮気味です
ランちゃんとランランの所へ行きましたが居ませんでした
昨日と同じ様にビリギャルの子じゅんやが畑からお用としていたので呼び止めると
こちらに来てくれました。
適当に名前付けていますが女の子だったらどうしよう? じゅんこ?
ここから子猫エリアです
チビと呼びながら登ったのですが出て来ないのであきらめていたら
帰りも4兄弟のおかあさんのエリア
少し餌と牛乳が余っていたので寄ってみました。