猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

死に方は選べないけれど

運命に逆らう事はしたくないけれど、死に向かう時、この社会に身を置くと

まるでベルトコンベアーに乗った部品の如くだ。

自宅で最期を遂げたいなと考えてもそう簡単には問屋がおろさないからねえ

色々調べて見るとやはりそこには医療や介護の後ろ盾が事細かに謳われていてね

生き物としての自然な死は難しいなと感じます。

物、部品として廃却されるが如くそのラインに乗るのは嫌だな。

動物たちが静かに誰も居ないところで他の動物の餌食になったりしても

死を前にすると姿を消してしまうのが分かる気がします。

またうちでは猫のミルさんが2014年に我が家で看取ったのですが

これは何の不自然さも無く当たり前のように家族で介護しながら

大した手を煩わせる事も無く我が家で最期を遂げたのは

自然過ぎて良かったなと思います。

僕が病になってもそう言う形が一番いいなと思います。

しかし現実的には難しい事を考えると猫さんロードのどこかで

息絶えるのがベストかも知れませんね。

それなら大したベルトコンベアーに乗らず多少の手を煩わせるくらいで

済みそうだしね、せいぜいどこかで倒れた時の為に保険証とメモくらい

意思を残したいとは思います。

意識があれば我が口で語れますが意識がなければ

そのベルトコンベアに乗せられてしまうからです。

意識が無ければ「一切の治療の手を施さないで下さい」

最低限これくらいは保険証に書き込んでもいいくらいです。

尊厳と言うものがあるのならそれは守って頂きたいものです。

医療の立場や家族の立場からもそれは無理と言うのであれば

別な死に方を自分で選ぶしかなくなるもんね。

自力で意識戻らなければそのまま放って置けば良いのだ。

静かに看取れば良いのだ。

他力で眠りから起こされたくはない。