猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

運命

それぞれの価値観によってこの世は同じでありながら違うものとなります

死そのものの価値観も人それぞれです。

誰だったか認識によって物は存在するのだと言う特殊な価値観もあります。

それによると認識し得ないものは存在しないと言う事でもあります。

空の月や太陽も誰もが信じなければその存在は無いと言うものです。

神もそうなのかな?

死も僕らは忌まわしいものの一つなのでしょうか?

悲しいものだったり辛いものだったり

もし価値観が入れ替わったらどうでしょうね?

生まれ来る赤ちゃんはみんな泣いて来るよね

どうして泣くのでしょう?

笑って生まれてきた方がきっとハッピーなのに

でもおめでとうと言うよね。

死んだ人の表情の殆どは安らかですよね。

でもおめでとうは言わないよね。

 

僕自身は死は悲しみも伴うけれど

安堵だと感じています。

一緒に過ごした日々の記憶が悲しいわけで

それはそれで大切な感情だけれど

居なくなってしまえば安堵に変わります。

生きて行くのは色々な壁や難題が待ち受けていて

厳しいものだと思うしね。

赤ちゃんが泣いて生まれて来るのは

試練の場へ放り出されたからなのかなと思ってしまう。

悲しみの深いこの地は出来るものなら避けたいのかもねえ

輪廻とか言う価値観もその辺りから発想したものかもね

修羅の場で己を磨き、二度とこの地へ戻らないよう

生を受けて立ち向かう戦場かも知れないね。

 

また死は避けられなく運命も変えられないのだけれど

価値観違うだけで未来は変わるのかも知れない。価値観がだよ

運命そのものは同じルートを辿っても

思いが変わるって事です。

 

そうでなきゃ別の今の時代の今の場所に僕が存在する事の意味が

わからないもんね。

太古の昔だって千年先万年先だって構わないのに

今なんだよね。

つまり運命はそう言う仕組みなんだと思う。

あなたも僕も今でないといけない理由がきっとあるよね

ならば死に至る道もそうでなきゃいけない理由があるはず

その理由を詮索するのは意味はありません。

死に至る道は色々な仕掛けが用意されていて

自分が知らず知らず選ぶ道なのだから詮索などいらないはず。

死に至る道はきっと選んでしまうのだろう。

そうでなきゃ墜落する飛行機に乗る仕掛けは用意されていないと思うな。

交通事故もそう起こそうとして起こす人は居ないけれど

用意された仕掛け通りなんだろうね。

トンビの眼があなただととしたら上空から見て

あの車と人はもうすぐ出会うなと予見する事だろう。

でもその車に人は自らの意思でそこへ向かうわけだし

車も自らの意思でそこへ向かうわけだから

偶然にしては出来過ぎだよね。

多くの人の中でその人が何故そこに居るのか?

あなたでも僕でもいいのにその人なのだ。

病も含めて全てね。

死へ至る道は無いと死ねないからね

ただ死そのものの価値観が凄く問題にはなるよね。

命は重いものなのか尊いものなのか‥‥。

 

僕らが持つほど重くもなく尊いものではないのでしょうね。

尊いものとして扱った方が良い、その程度だとは思います。

戦争や殺人がそれを語っている。

問題なのは価値観の持ち方かも知れないです。

核で何万人の命が一瞬で消える

その中に僕が居たとする。

何万人と言う言葉に迷いを持たない事です。

あなたも僕もこの世に一人しか存在しないのです。

それに惑わされると沢山の命って価値観にすり替わるもんね。

例え巨大隕石が衝突してこの世の全ての命が一瞬に消えても

あなたと私の命はそれぞれ一つだけしかないのです。

 

蚊一匹パチンと両手で潰す程度のが命の元の姿なのでしょう。

そこへ向かう蚊の一匹が私達って事です。

その瞬間まで楽しい時間を過ごせば

後は安らぎしかないのだと思います。

仕掛けのある場所にわざわざ出向くのは

安楽への道

幼くしてその場へ行くのは

特別配慮されたルートなのかも知れませんね。

そうでなきゃ理屈に合わないもんね。