猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

生と死

例えば僕が腎不全になり、生きながらえる為、腎移植しかないとする

僕は拒否するだろう

同じ様に心臓であれ、誰かから頂く事は拒否するだろう

与えられた命を粗末にするわけではない

与えられた命と身体は一つしかない

その一つの命には寿命と言うものがあり

それを全うするのが生きる事ではないだろうか?

臓器移植は少し違う気がする

一つの命は一つの命で終わる方が理に叶う。

もし医学が進んで全ての移植が可能になってしまったら

死さえも無くなってしまうだろう

 

子供を助けたい気持ちも痛いほどわかる

長く生きたい気持ちも痛いほどわかる

その気持ちだけで死の定義を変えてしまったら

死の意味さえわからなくなる

 

脳死が死ならば

身体を切り刻んでいいのだろうか?

また多くの臓器移植は謎に包まれている

その後がプライバシーの壁によって多くの真相が

見えなくなっているのだ

 

人の一生は与えられた寿命と言うものがある

それは命の長さとは関係なくあるのだ

医療の進歩によって、それが変わってしまうかどうかは

わからない。

ハッキリしているのは何れ死ぬと言う答えが用意されているのに

その長さだけを調整するのは何かに反しているように

感じるのは僕だけだろうか?

 

もしもだよ僕が臓器移植して

退院直後に事故に遭って死んだとする

もしもだよ僕が臓器提供したとする

その人も何れは死んでしまうだろう

その長さの調整だけのためにゴッドハンドに

提供するの?

医療は人の命を本当に救っているのだろうか?

その人の人生を塗り替えてしまうだけではないのだろうか?

 

多くの著名人が最高の治療を受け

次々に亡くなっている報道も多いですよね。

その間みんな闘っているわけだけど

それでいいのかな?

闘わない道もあるんじゃないかな

受け入れ死に行く当たり前の時間の中に身を置くのも

選択肢の一つだよ。