裏金、パーティー券、寄付
金の集め方も色々ですが政治に関しては政党交付金だけで行いましょうね
政治には金がかかると政治家達は言いますけどね。
税金が割り当てられているのに、また給料も税金から捻出しているのに
それじゃ足りないなんて贅沢は言わないで下さい。
裏金もさることながら寄付やパーティー券ってそこに何が潜んでいるの?
僕の個人的見解から言えばパーティー券も寄付も誰がいくらしたかなんて
ランク分けは全くしない方がいいです。
誰がしたのかも分からなければ忖度もくそもありません。
その前に一切そんな資金集めはしないのが一番良いのです。
一般国民も同様で誰がどれだけってところが矛盾に満ちる事になるんですね。
あなたが僕にこれだけしただとかね世の中はそんな常識がまかり通ってますよね。
これだけして貰ったんだからこれだけ返さなきゃ、そんな何でもない日常が
忖度につながるのです。
どこの誰がどれだけしたかも分からねば忖度もくそもありません。
神社の寄付だってそうでしょ?
玉垣や石灯籠に寄付した人の名前が記されたりね
何万、何十万、百万そして一目で分かる玉垣の大きさや
紙にに記された千円也~一万円也のような表記の仕方
本当に寄付ならば無地のままか神社名や建立年月日だけでいいじゃない?
地位や名声などが絡んだり権力、金力を絡ませると政治と同じだよ。
よく僕は旧約聖書の序文かな?それをよく使います。
神は我らに似せて人を造ったと言うくだりがありますが
もし本当にそうならば
悪魔は我らに似せて人を造ったと言う方がこの社会構造を見る限り
相応しいなと思います。
悪がいつもうごめいているしね。
正義何ていつもかき消されてしまうしね。
忖度とまで言わなくてもあなた方も同様の手口かもね
いくらくれたからいくら返すだとか、よくおごってくれるから
何かしないとなんてね。
忖度と言うのはそれを膨らませたようなものなので
そんな風習から変えていかなきゃね。
誰がいくらでもいいじゃない
それさえ分からなくして欲しいものだ。
神社の賽銭箱がその方式ですね。
返そうにも返せない。
僕は価値観など思い付きで書くので自分が言った事、書いた事、過ぎれば
忘れてしまうようです。
流れは一貫していて言いたい事もコロコロ変わる事は無いのですが
すぐ忘れていて、そんな事、言った?なんて事が多々あります。
相手には印象に残っていても僕自身は忘れてしまうのです。
今日の猫さんロードは先ず妻を見送りその帰りに一か所だけ
あーちゃんのエリアへ立ち寄りました。
今日はチャミさんとトラミちゃんだけでチャウさんは上がって来ませんでした。
ここから白髪のおじさん宅の上辺りへ移動ですがお好み屋さんが休みのようなので
あーちゃんを呼んで見ました。
今日も娘が早番なので帰宅。
娘を見送った帰りにじゅんやの居る所へ立ち寄りました。
車を置いてここからは歩きです。
ここからヘアピンカーブへと
お堂から石材店上の丘へ
ここからビリギャルの畑へと
帰り道で
ここでも食べようとしないので道向こうの墓所へ移動
午後
苦情が表面化せねばいいけどね、物事はなるようにしかなりません。
無理に流れを変えるとどこかで捻じれてしまいます。