心の想像力があれば戦争は出来ないだろう。頭の想像力に頼れば平和は来ないだろう。
僕らは幼い頃から頭の訓練を受け、都合よく生きる術を学んで来た。
学べば学ぶほど心の想像力は貧弱になり心で物事を見る事が出来なくなる。
僕自身は頭の想像力の訓練は本能的に受け入れられなかったので
頭は人より劣っていると思う。
でもその分心は養われたように思います。
明日は広島、また日本にとっては記念すべき日かも知れないが
僕にとっては何の日でもありません。
語り継がなければならない程、人の心は貧弱なのだろうか
また記念碑や原爆ドームがそこに無ければ
平和を想像する事すらできないのだろうか?
戦争の悲惨さすら何か材料が無いと想像できないのだろうか
そう思ってしまう。
グローバルになった今、実質的な平和などあろうはずがない
心の眼で捉えればそれはすぐ感じると思う。
また世に流されながら生きると言う事は平和をも得られないと言う
単純な事も悟れないと言う事は頭でっかちなのでしょうね。
日々の生活の中で僕から見たらみんな狡く見えてしまう
その狡い頭を吹っ飛葉さない限り平和も戦争も肯定しなくては
矛盾してしまいます。
それが社会構造の形であり、平和式典等もそれに類する
つまり平和など夢の夢物語だと言う事になります。
頭で構築する現実はあまり素敵なものではありません。
でも僕が何か言ったところで何処にも届きません。
心の中を浄化するだけで平和はそこにあるんですけどね。
あまりに心の想像力が無さ過ぎます。
僕の平和は死後に訪れるから仙人のような気持ちで
この世界を眺めていたいと思います。
死後に訪れると言っても死後があるわけではありません。
醜いこの世界から離れられると言う安堵の世界観です。
新型コロナの動きもみんな流されてしまっているように見えるしね
これも頭でっかちばかりが前に出たがるから
冷ややかな眼で眺めています。
心の想像力に求めればそこに脅威も何もありません。
駆け引き無しで共存共栄が未来へ残す宝物です。
同じ生命体として共存共栄は自然の成り行きです。
既に無症状感染者は苦も無くそれをやってのけています。
これが生命の本質です。