僕は幼い頃から悲観的で内向的で暗い性格だった
母はそんな僕を見て「お前がいつ自殺するか気が気ではない」
母は陽気な性格で人前に出て歌を歌ったりするのが好きで、のど自慢などあると
喜んで出て行くような人だった、町内運動会など
足も速く自分から手をあげてリレーなど参加するのが好きだった。
そんな母から僕を見ると爆弾を抱えたような気持ちだったでしょうね、
僕自身も思春期の頃には大人になるまで生きている事ができるだろうか?
それはとても無理そうな気持でした。
僕がここまで生きて来れたのは逃避人生でした。
囲いの中から逃げる、集団から離れる、とにかく仕組みの中に居ない事
仕組みの中に居たら死んでしまうしかない、大人にはなりたくない
こんな気持ちは僕の様な性格を持った人達にはすぐ理解出来ると思うが
この社会を普通に生きて来た人には理解出来ない事でもあります。
何十年も会社行事や学校などのイベント、体育祭のようなもを
スルーし続けたのも僕が生きる為の大切な行動だったような気がしています。
登校拒否にも色々パターンがありますが僕と同じ指向性を持った人は
学校から逃げる事で生きるチャンスが開けるんだと言う事を社会は認めていません。
行かせる事、何とか来て貰う事がセオリーとなっています。
その中の一握りが死の道を選ぶ事になって行くのです。
また家庭内暴力や犯罪にも大きく舵を取らせる事になってしまいます。
僕は自分の臆病心が異常に大きかった事が幸いして逃避する事が出来たのだと
思っています。集団の中に居たら針のムシロ状態に陥ります。
それを味わい続けたら精神が持たない、そんな感じでした。
逃げて白眼視されたりとやかく言われる方が死ぬよりはいい。
自由意思の尊重が社会にあればいいのですが
常に社会はその意思を認めてはいないですね。
受け皿も狭いと言うか、社会はロボットのような人達しか受け入れていません。
僕にとって社会で蠢く人達はロボットのように見えてしまうのです。
狭い心で育ったらロボットになってしまうしか生きるチャンスは無いからです。
ロボットには自分で決定する意思などないですからね
常識のレールの上でしか物事を決められないロボットにはなりたくはありません。
暗いで性格臆病な方が生物として生きるのには良かったのかも知れませんね。
猫さんを見ているとみんな臆病です。
ちょっとした物音でもビクついています。
これが人間のようにダラ~ンとしていたらすぐ天敵に襲われます
人と関わるよりは生き物と関わっていた方が楽ですし楽しい。
皆さんも上辺の付き合いより猫さんや虫を観察するのもいいですよ
自分達の生き方がなんと不細工なんだと気が付きます。
新型コロナ別に居てもいいじゃないですか
共存出来ればすればいいし出来なきゃ死ぬ道具にすりゃいいじゃないですか。
一度目のウォーキング
二度目のウォーキング
昨日の夜勤での接触者
管理者
入居者24名のみ
夜勤明けでの接触者
家族
畑のおばさん 距離3mマスク無し
買い物 車内待機
歩行数 14360歩 仕事含む
僕はロボットじゃありません