猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

施設での暴行事件に思う事

あってはならない施設などでの暴行事件や果ては殺人、殺戮

こんなニュースをよく耳にしますよね。

僕の価値観で世の中を見ると起こって当たり前としか思えません。

これまで68年生きて来てそう思うのです。

僕はそう言う社会と自分の性格的な弱さから逃避するように

ここまで生き延びて来ました。

僕の価値観は強い者が弱い者を助けるのが信念です

しかし世の中は強い者が弱い者を圧する。

その構造はピラミッド型の支配図とそっくりです。

金か権力か地位によって強い者が弱い者を圧する構造

それが投影されているに過ぎないので起こって当たり前なのです。

バランスの限界点に相反する者が対峙すると事件が起きると言うものです。

論理社会の特徴ではないでしょうか?

僕は心、つまり情緒的な場所に心を委ねています。

平等精神がいつも心の中にあります。

 

社会生活に於いてはルールやマナーしきたり等にうるさく

僕は無意味なルールやマナーは守る事はありません。

もっと心を大らかに温かい心を養いたいものです。

そんな社会に害されたお年寄りと施設員が浮き彫りになってしまう時

事件に発展するのだと思います。

押し付けて来られたことを押し付けるせめぎ合いですね。

やまゆり園で大量殺人が過去ありました。

顕著ですよね 年寄りは不要論的な発言

論理からすると答えはそうなるのだと思います。

働きもしない、認知症や身体が不自由、人間として見れない

情緒を大切にして来ていれば、これまでそのお年寄りたちが

頑張ったおかげで僕らは生かされているのです。

ここで恩返ししなければいけないのが献身なんですけどね。

 

またお年寄りもルールーマナーにうるさくて同様に社会に害された

人達が沢山居ます。

残り少ない人生、目からうろこ剥がして欲しいものです。

社会に害されたと言うのは嫁、姑などの諍いにも現れて来ます。

ルールやマナーを押し付けたり相手を駄目だと決めつけない心を

取り戻して欲しいものです。

 

認知症の方と接すると感じるものが多々あります。

論理的思考の方だと

恐らく認知症と言うだけで一つの病くらいに軽く考えているのだと思いますが

接しているとそれぞれの性格がそのまま現れています。

社会に害された人は扱いが難しくなります。

情緒ある心のお年寄りは優しいのです。

これは認知症に限らず、皆さん方も含めて同じだと思います。

 

認知症は馬鹿に出来ません

正常(認知症になる前)な時に難しかった人はそれが顕著に現れます。

正常な時に優しかった人はやはり優しいのです。

 

目に余る暴行など行う人はそのどちらも同じとして見ている異常者でもあります。

僕の価値観では施設で雇う人は最低限情緒を大切にして来た人を望みます。

国が行う検定や国家試験の資格者ではなく

情緒ある心の優しい方です。

人手が足りないから誰でもいいなんてのは辞めて貰いたい。

 

僕らがこうして現生に存在出来ているのはこの人達のおかげなのです。

最後に出来る血の繋がらない父母への親孝行なので

良い人生の最後を送れるようにしてあげたいと思います。

 

お年寄りにはこれまで凝り固まったしきたりなど

生きている内に肩から降ろして優しさを少しでも取り戻して

心の安堵を感じて欲しいと思っています。

 

資格が無ければ駄目って国の在り方にも異議ありです。

資格の前に人間的な優しさがなければいけません。

心無いペーパードライバーじゃ駄目って事です。