猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

仕事の話

僕は元々一人に成れる仕事を好んで就いていました。

その代表がトラッカーです。一度車に乗り込めばそこには一人の世界です

現在は施設と言う建物の中ですけどね。

今日までの仕事は通算すると50年ほど、その内トラック関係が40年です

如何に一人の時間が多く、人と接する時間が少ないか分かると思います。

一人で考え一人で答えを出す時間が持てた事だろうと思います。

一般の人と在り来たりの話をしても返る言葉は異口同音です。

つまり話をしない方がいいって事でもあります。

 

さて現在の仕事は老人相手の施設の宿直です。

もう二年と三カ月目となりました。

小規模な施設なので夜間は宿直一人っきりです。

これが勤まる最大の理由だと思います。

人間関係はゼロに近く、仕事上のストレスもほぼゼロ

僕にとって理想的な職場です(倒産しなければ)

 

また夜間の人間関係はあったとしてもお年寄りだけです

75歳~100歳。

宿直はバイト扱いで職員では無い事がまた僕にとって気楽です。

相手はお年寄りばかりですけど僕はただのバイトなので

特別な大切な決まりが無ければ、自由にお年寄りと接する事が出来ます。

職員だと好きな事を思うようには言えないと思います。

嫌な老人に対しても最大限そう扱わないようにしているようだし

出て行かれたら困るもんね。

ところが僕は思った事を好きなだけ言います。

 

世の中は言っていい事悪い事などがあり過ぎて、そう言う中で育った人は

言いたい事を言えないで、心から出る言葉は口から出る時には

良い言葉に変換するような構造になっていますが

僕の口は心から出る言葉がそのままの形で口から吐き出されます。

お年寄りも恐らく僕の様なタイプと接するのは初めてだと思います。

年老いて初めて耳にする僕の言葉はむしろ新鮮に聞こえるでしょうね。

一般常識に捉われない僕の言葉はきっと新しい世界ではないかと

思います。

 

酷い事も僕は言います。

施設を出たらすぐ踏切があります。

お年寄りが「生きていてもしょうがない」「死にたい」と言えば

そこに踏切があるからすぐ死ねるよ、あなた一人死んだって

何の影響もない。

職員はとても言えないよね。僕は当たり前に言うよ。

死にたいって望むなら、死ぬなと言わない

死ねばいいと吐き捨てるだけ。

生きたいと言えば生きなさいです。

 

また弱音ばかり吐くお年寄りには

わしに弱音吐いても何も解決せんよ、話を聞いてくれる職員に

そんな事は話せばいいじゃん、弱音聞いたところでわしの人生に

何の影響もないけんねと突き放す。

そして施設来る場所違うよ、精神病院か家に連れて帰って貰いんさいや

等々です。

 

 

言葉の悪いばあさんなどには説教するしね

くそばばあってねえ

職員なんかとても言わんよね。

 

僕の口から出る言葉は思いやりと優しさからの言葉です。

くそばばあも、死ねばも出所がみんなとは違います。

これは常識の中で培う事なかった僕の心の声だから

職員が言ったらお年寄りは多分受け付けないと思うし

常識的な優しい言葉も伝わらないと思います。

僕だけに許される言葉の数々です。

その裏に本当の思いやりと優しさがある事をお年寄りは感じているのです。

 

もう退居したおばあちゃんも職員や宿直が手を焼いていました。

着替えや入れ歯外そうとすると嫌がって入れ歯投げ捨てたり

ティッシュ投げつけたり、着替えもしてくれない

そのおばあちゃんも僕には全く反抗した事がありません。

認知症の方でも心は通じるようです。

よく頼まれました。着替えお願いしますなんて具合です。

僕なら素直に従うんです。

 

現在居る難しい人はみんな手を焼いています。僕もね

しかし話せる人は僕しか居ない、他の人じゃ駄目って

決め込んでるからある程度は聞いてあげます。

全部は無理です。

 

ついこの間、僕に血圧測定などしていらない他の人にしてもらうって

頑固なおばあちゃんも既に仲直りしています。

一生僕に計って貰わない、一生忘れないと言い廻ってたけどねえ。

いい事だと思わない?

僕がこっちから言った場合は一生本当に計らないけどね

普通の人はその時だけの感情だから、時間と共にこちらの

出方次第で大抵変わります。

変わらないのは僕だけかもね

その変わらないところが僕の良いところかも知れません。

いつどこにいても同じ自分が此処にいるのです。

道しるべになるよ多分ね。

昨日も今日も明日も同じ僕です。