猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

2月3日の夜勤

この施設に勤め始めた頃は宿直全員が21時出勤でした。

二年目の3月に施設からの話がありその年4月から昼勤と夜勤は二交代で

夜勤は17時からやってもらえませんかと言う打診があり僕は断りました。

また月に10日は出勤したいと言う要望を申し出ました。

ただシフトの都合上無理が来るようなら17時出勤も受けますという事で

月10日の内4日~5日は17時出勤ほぼ半々程度となっています。

他の宿直は月6日です。

僕が21時出勤の時は昼勤が帰ってしまうので17時~21時に僕が出勤するまでは

他の宿直が交代でカバーしてくれています。

他の宿直に比べ出勤日数も多く21時出勤も認めて貰えたのは優遇されていいますね。

17時出勤の打診があった時に言われたのは僕にはどうしても残って欲しいので

その要望を出来る限りしますという事でした。

最初の一年間はとにかくできる事は何でもやっていました。

トラッカーから畑違いの職場に移り不安材料が一杯でしたが

施設の中も雑然としていて部屋割り表など見ると過去のままだったり

居ない人の部屋もそのまま手が付けてなく色々な場面で表なども

手直し出来ていないままだったので先ずその辺りから手を付け始め

ホワイトボードや名前を張り付けたりする名札なんかも

全部作り直したり、当初別の施設に弁当を宿直が交代で運んで居たのですが

一人だけ免許返上していた宿直が居てその日だけは管理人が運んでいたのですが

管理人が抜けると人手不足になる事からその日だけは無償で管理人の代わりに

出向き僕が運んだりしていました。

こう言う動きそのものが、よくやってくれると言う印象を与えたのでしょう

デイサービスの送迎も僕に話が舞い込んだのも

僕なら受けて貰えそうと言う流れだと思います。

この話が舞い込んだ時、文章を提出しました。

宿直4人が交代でやれば月に一度の送迎になるので

それぞれに打診して誰もやらなければ僕がやります

そんなものでしたが蓋を開けてみると他の宿直には打診無しでした。

 

前置きが長くなりましたが

2月3日の夜勤の事です、その日僕は21時出勤、正確には21時半なんですけどね

17時から職員が不在になるため僕が出勤する21時半までは他の宿直が

17時~21時半まで居てくれるわけです

21時前に出勤した時に詰所前の部屋の入り口に宿直員が立っていて

おばあちゃんに「何かあったらそのボタン押して」と声が聞こえてきました

そのおばあちゃんは本当に可愛いおばあちゃんなので様子を見に行きました

宿直の人がナースコールのボタンを示して手渡していたので

僕も部屋に入りおはあちゃんに手を振ったんですね

ところがいつもと様子と違いしばらくして様子がおかしくなり

目がうつろになり声をかけると頷きはするのですが目の焦点が合っていないので

管理者に電話をかけ救急車手配と家族へ連絡しました。

今日出勤して連絡ノート開くと救急車で運ばれた翌日亡くなったとの事でした。

僕は良かったなと思いました。

命を細く細く繋ぎ止めるよりこう言う形が最も良いと思うからです

誰も何れは死にゆくのは決まりきった事なので

今回のようにあっけなく逝く方がおばあちゃんにとっても家族にとっても

きっと良い事だと思います。

 

また最後に僕と交代する宿直と出会ってそれも良かったなと思います

僕とその宿直はそのおばあちゃんのお気に入りでしたので

良いときに良いタイミングで最後を迎える事が出来たねと送ってあげたい。

高齢者施設なので毎年一人か二人は消えて行きますね

また入れ変りも多々あります、介護度によって居られなくなったりです。

 

僕は施設のマニュアル通りには働くことは出来ません

本音人間だから建前のような働き方は出来ません

恐らくお年寄りもそれは薄々感じている事だと思います

言葉は丁寧ではないし言いたい事を言うしね

変わり者ではあるが人と違った接し方をしているのは歴然としています

これまでに亡くなった方も僕には良い印象を持ったまま逝ってくれました。

おじいちゃんもいつも褒めてくれたしね

「あんたは本当によくやってくれる嘘じゃこんな事は言えん」

認知症の亡くなったおばあちゃんも

「あなたと結婚しようと思ってる」なんて可愛いじゃないですか

転居されたおばあちゃん二人も僕を凄く気に入ってくれてたし

職員やヘルパーさんのいう事を聞かず着替えもさせないような

おばあちゃんも僕だとニコニコ笑って着替えしてくれていたしね

職員さんも僕なら拒否しないから着替えお願いなんて事もよくありました

人を人として見て良い言葉使いも時にはいいのだけど

普段の言葉使いで気を許して貰った方がきっといい事だと思います。

怒りを抑え丁寧語で対応するよりは僕のように

うるさいわくそばぱぁーバカタレが

同じ言葉でもこっちの心の持ち方で伝わり方は違うのではないでしょうか?

これは親父譲りかも知れません

親父は食堂経営していましたが嫌な客は受け付けませんでした

銭はいらんとっとと帰れと追い出すような親父でした。

しかし心根はとても優しい親父でした。

商売、仕事だからと言って愛想よくなんて技量は親父には無いように

僕もまたそんな器用な事は出来ません。

心で思う事ストレート

この年まで生きて僕も随分丸くなりました。

若いままこの施設にいたらても務まらなかったでしょうね。

 今は楽しみながら務めています。