猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

僕らの知っている時代 犬猫

今やペットブームなどで犬や猫、その他生体販売は当たり前のように行われていて

そのルーツはもっと古いものだと言う事ですが、現在の在り方は利益追求そのものです

利益に叶わなくなった命は生き物としての扱いを受けなくなります。

もっと利益ではなく命に目を向ける人としての心があるならば

生体販売は自ずと無くなるのが正常だと思います。

 

僕らの子供時代はどうかと言うと野良猫野良犬は普通にどこでも居ました。

当時でも犬捕りが来ただとかで野犬など苦情があれば来ていましたが

今の時代はちよっと違うようです。

 

また僕らの時代は生体販売はありましたが、現在の様な当たり前に

売られている感じは無くて、また一般家庭では食べる事の方が精いっぱいで

お金を出して生き物を買うと言う風潮もありませんでした。

野良犬野良猫が生んだ子供が人に懐いてそのまま家族になるだとか

成犬でも懐いてくれば同居するような形でしたし、知り合いの犬と掛け合わせて

出来た子を貰うなど利益追求ではなく人と人の繋がりから

そのような流れでした。

子供心にも大人の会話でそれを耳にしていました。

「犬が欲しいと言うんだが。あんたとこの犬とうちのが相性合えばどうだろう?」

ごく自然にそんな形で飼われたりしていたものです。

 

野良犬に追いかけられ噛まれたりもしたし、草っぱらで犬や猫の糞を

踏んづけたりも日常茶飯事の事でした。

 

また田舎などでは放し飼いも多く、今の時代の様にペット産業が

作り上げたルールやマナーなど昔はありません。

だって野良犬野良猫はウサギやイタチと大した変わりはないくらい

野犬や野良猫が普通に居て、猫なんか勝手に入って来たりで

「コラ!」なんておじさんが追い払ったりしていたり

情緒のある時代でした。

 

過去家で飼っていた犬も野犬でした。

近所で靴が良く無くなっていたのもこの犬でしたが山から下りて出会うと

威嚇して唸ったりするので何とかしなきゃって噂の犬が家の家族になったのです。

その経緯は捕まえて保健所に出したらどうだろうって話になり

僕が釣り竿の先に針金つけて捕獲したのだけど、保健所に行けば

死を待つだけになります。

捕獲した時は暴れて針金を切ろうと口の周りは血だらけでした。

しばらく木に繋いで餌を与えていました。

近づくとよだれ垂らして唸るし、馴れるまで半年かかりましたが

馴れてしまうと可愛いものです。

あの捕獲した時の犬とは違う犬のように大人しくなりました。

 

野生の生き物は食べる事が生きる事です。唸っても吠えても

優しい気持ちで日々接していると生きる術になる食べ物を貰える事が

一つの大きな愛情となります。

飼うだとか飼われると言う言葉はあまり使うのは良くないと思います。

同じ屋根の下に同居する生き物は家族なのだから

仲良く暮らすのがいいのではないでしょうか。

 

人も同じですが余程の事が無い限りはむやみに病院へ行くのも

どうかと思います。必要以上の手助けはただのおせっかいでもあります。

人の世界も保険が破綻するのも時間の問題です。

当たり前ですよね、しなくてもいい事に莫大なお金を費やしているのが

実情だと思います。

 

生き物の世界はあまり延命治療や特殊な治療はすべきでは無いと信じています。

病などは死に至るための必要な大切なものだと思います。

自然の摂理から外れ過ぎた治療は生態系のバランスさえ崩れて行くでしょう。

死にたくても死ねない時代が来たら恐いですね。

また命を繋ぐだけの治療が発達し過ぎたら人工カプセルで

寝たきりのまま延々と生きる日が来ないとも限りません。

健康寿命が生体の本来の寿命です。

無理に引き延ばしているのが延命治療です、こちらが伸びれば延びるほど

歪になってしまいます。

明日死ぬ僕を明後日に伸ばすのは辞めてくれ。