少子化もさることながら長く生きると言うのは生態系のバランスを崩しているのではないだろうか?長生きがただ喜ばしいかと言うとそうではないだろう。
この背景には現代の医療が深く関わっていて、本来ならば生きながらえて
いない人達の増加によって高齢化が進んでいるとしたら、長生きそのものが
生態系のバランスを失っているのではないだろうか。
健康寿命が延びるのなら喜ばしいし、働ける高齢者も沢山いて
社会の潤いは取り戻せるでしょうし少子化と言う言葉がそこには当てはまらない
良いバランスにもなり得るけれど、ただ生きているだけの寿命の伸び率を
医療が施して良いものだろうか?
誰しも長く生きる事に反対する者はいないだろうが
それは健康で活動できる社会でないと心から喜べる現象ではないよね。
2025年問題と取り上げられるこの時期に向けて老人施設もそれに叶うよう
どんどん増やされているようですが、僕は異論を唱えたい。
それは老人施設と言う言葉でごまかして欲しくないです。
良くて老人病棟、悪く言えば姥捨て山
そんなものを増やす医療はただ悲しい。
僕もそう言う仕事の一環に身を置いていますが、良い社会の形とは思えません。
お金と言う大きな問題が根底にあり、それによって需要と供給のアンバランスが
また高齢化社会に拍車をかけています。
お父さん一人が働けば妻も子もそしておじいさんおばあさんを養える
需要と供給が実現すれば高齢化社会や少子化の言葉も使わなくて良くなる。
単純な話だともっと自然な生き方の医療が元に無いと
長く生きているだけの命を作ってしまうだけ。
死そのものの考え方ももっと真剣に捉えないと、年金どころか全ての
バランスが失われてしまう恐さを感じます。
施設のお年寄りも僕のような場所で過ごすのではなく家族と共に
楽しく暮らせる社会にしてあげないと本当に姥捨て山になるのではないでしょうか
医療も健康のための寿命の在り方を模索して欲しいものです。
日々、凄い数の薬漬けにされて施設で暮らすより
天命を受け入れて少しでも健康な時間を過ごして欲しいものです。
薬で三年長生きするより今日自然に終わる方が幸せなのだと
思える社会でありたいですね。