猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

退屈を利用してあれこれ

僕のブログは元々ボヤキブログでした。

子供のころから引っ込み思案で超内向的で言葉が出ない事から

心でずっとつぶやき続けたのでしょう。

思いがどこに行っても届かず口数が少ないうえ上手く表現できなくて

また社会に馴染めないままこの年まで生きて来ました。

ヤフーブログ時代はボヤキが主体でしたがいつしか猫さんブログとなって

しまいましたが根本は相変わらずなのでボヤキが所々に散りばめた

ブログとなっています。

 

今の仕事は高齢者施設の宿直です

入所してから四年目になります。思った以上に気楽に仕事が出来て

この仕事で良かったなと感じています。

元々社会には馴染めないのでトラッカーからこの仕事に携わった時には

不安だらけでした。と言うのも直前に知的障害児の施設の送迎兼内勤の

業務に携わった時一週間で挫折したトラウマがあり施設と言うものに

少しアレルギーがありましたが食べて行くためにはブランクは

即経済的に追い詰められることから近くにある藁を掴んだのが

この施設であった事が幸いでした。

元々運命論者なので流れに身を任せてはいるのですが

悠長に仕事を選ぶ余裕のない事がまた僕の運命でもあります。

 

運命をおぼろげに自覚し始めたのはずっと過去の事です

臆病で超内向的性格からして日の当たる場所はナメクジ同様で

避けながら生きて行く事になるので日陰者が僕の居場所なんだと思うように

自然にそれが受け入れられるようになり損得の損の場所が僕の居場所

白眼視の先に居るのが僕の居場所運勢の落ちていく場所が僕の居場所

悲観的でいつも暗い場所が僕の居場所で重い空気の下が当たり前に

なってしまいました。

しかしそんな場所に長く住むと住めば都となりマイナス思考が

かえってプラスに思えるようになってきました。

それはトップに君臨するよりずっと楽で初めから落ちた場所にいるから

それ以上落ちる心配はなく暗いところに居るとほんの少し光が当たるだけで

幸せな気持ちになれる事がわかりました。

その光の強さは例えるならホタルの灯でもありがたいと

思えるような心だと思います。

日の当たる場所に居る人ならばその光さえ見えずただの暗がりでしょうね。

星は明るい場所では見えませんよね、僕は暗い場所に居るので

色んなほのかな光を感じれるようになったのでしょう。

つまりどんな境遇でも楽しい人生に思えるようになったように感じています。

 

高齢者施設なのでそれなりにマニュアルがあり高齢者との接触の仕方や

言葉使い等もあるのですが僕にはとてもそれは出来ません。

絵に描いたようなものは僕にとって価値の無い言葉であり

ルールやマナーは社会的立ち位置を決めるくだらないものです

それが馴染めなくて僕のような人間が形成されたのだから

それを規則に当てはめて言葉を発したり守っていたら

自分そのものが居ないのと同じことになります。

夜間は僕一人だけなので同僚や上司は居ません

僕そのものの本性で思ったことを発言し思ったように行動します。

もちろん仕事上最低限の事はちゃんとやっていますけどね

入居した高齢者が僕の発言気に要らなければ昼間に施設の職員などに

ぶちまければそれでいいしそれが良くないと思えば僕を解雇すればいいだけの事です

暗い道ばかり歩いて来た僕だからそうなったとしても構わないのです。

マイナス思考の強みでもあります

こんな僕だから解雇されても当たり前なんてね

落とされても楽しく生きればいいだけです。

 

先日も一人のお年寄りが夜中になんかわめいていてね

部屋を訪れると部屋の前に色々なもの投げ出してね

僕に食ってかかるんだよね、このお年寄り家族も恐がっていて

職員も難しいから何か言われても否定せず「わかりました」と言って

逃げて下さいと言われて居たのですが反対にわからせてあげました。

「夜中に大声出さないでください他の人は寝ています

それから他の人に大声で食ってかかるのは構わないが、わしに

大声は出すな、もう一度言うよわしには大声出すな」

その後言葉を失ったのでそれで良しです。

相手が思った事を言うのにこちらが黙り込む必要はないです

言いたい事を言うのが良いですね。

 

本気度が無いと本当の人間関係なんてあり得ません

お年寄りは寂しいのです気を使い言葉を発しても心には届きません

例え怒鳴っても心に届けば良しです。

マニュアル通りだとスーパーのレジ娘と同じでそこにコミニュケーションなど

生まれるはずもありません。

言いたい事を言わせ言いたい事を言えばコミニュケーションは生まれて来ます。

 

そうそう僕は運命論者なので自分の運勢は悪い星と決めつけているから

楽しく出来ているようなものです。万事が上手く行けばいいけれど

それはとても叶いませんからね

悪い星ではあるけれど死についてはかなり年が入ってから組み込みました

それはある時頸椎損傷と言う怪我の時です

暗がりで溝に足を取られその勢いで体重が乗ったまま石垣に頭をぶつけた時

死ぬかも知れないと頭をよぎった記憶から死は身近に感じました。

どんなに暗い人生だろうが明るい人生だろうが死は身近にある

つまり生と死は抱き合わせにあって一秒先はわからない

しかし運命は決まっているのだと思い始めたのですね

その死の切符は誰もが持っていて必ず終着駅に到達するのです

死に方そのものの切符と言った方がいいですね

本人には見えないけれどちゃんと生まれた時に持っているもの

それが運命なのです。

だからいつも言うように新型コロナ等で迷いを持たない事

世の中の空気がどんなに叫んでいてもあなた自身既に死に方の切符を手に

しているのだから何も迷う事は本来いらないのです。

コロナで死にたいと切望しても無理なのです

例え感染したとしても切符に記されていなければ死ねないのです。

科学の力は凄く進歩し医学も進歩しているようだけど永遠の時の中では

ほんのひとかじりしかしていません。

あなたがいつどな風に死んで行くのか現代の医学でもわからないのです。

もっと進めばとんでもない事がわかるかも知れません

新型コロナでもインフルでも他の病でも時の流れの一部です

今死にゆく人を紐解いても持病がどうのこうの

何故持病と関連づけるのでしょうね、わからないからです。

高齢になれば持病の一つや二つはあるでしょう

若くとも持病のある方は居るでしょう。

死んだ後にあれこれ付け加えるくらいしか出来ないのが現状で

特に持病無く亡くなった人の説明には当てはまらない事になります。

運命論では決まっているわけだから説明は簡単ですよね。

持病?という事は既にその治療を施した方という事になります

その治療を遡りどんな服薬治療を行ったかどんな治療を施したか

そこまで遡らなければ安易に持病を持った高齢者がリスクが大きいなんて

言葉は使っちゃだめですよね。

薬剤そのもの十人十色の副作用がありです

それが原因で亡くなっても中々実証するのは難しいのにねえ

 

僕は糖尿病、高脂血症がありますが治療はしていません

なるようになるそれが元で死ぬって運命はそんなものじゃないですよね

記された切符は見えないけれどその通りに進むだけです。

長く生きたとして最後は多臓器不全でしょ。

長生きの人は多臓器不全と言う切符を手にしているという事ですね。

そこにたどり着く前に亡くなる人は健康なままある日突然

亡くなる切符を手にしているだけです。

長寿も短命も決まった運命の中にあるだけです。

 

今日を楽しく生きる

それだけでいいのです。