猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

猫の餌遣りは「悪」とされる現代の人の心

色々な理由を付加して猫の餌遣りは悪と見なされている

県の条例で禁止されたりも増えている。

僕の心の目では猫の餌遣りは善良な行為であり

一番大切な心の在り方ではないかと思っている

色々な知識がそれを妨げている

知識そのものに心が宿っていないものね

悪と見なす人の亭主にはなりたくはないし

悪と見なす子の父でもありたくはない

 

また悪と見なす医者にはかかりたくはない

そう言う医者が他人の身体を心配するわけもない

冷たい心で僕の身体を診ても欲しくはない

一番大切なのは我が事の様に生き物を大切にする気持ち

それが無ければ作られた心の持ち主だものね

 

作られた心の持ち主が何をやってもそこには悪しか芽生えないだろう

売春一つでもそうだ、自分の欲の深さの為の行為と

家族を養うための行為とでは心の向きが違うのだ。

同じ行為でも心の在り方で意味が異なるのだ。

 

生き物の売買が人の魂を売ったのだろう

魂を抜かれた者は猫の餌遣りを悪と表現するのだ

洗脳されてしまった心はそれをかなぐり捨てる事は出来ないのだろう。

その進む先には人間の子供さえも邪魔者だと思えば殺めてしまう事だろう。

飢えた子供に手もさしのべられないだろう。

 

冷静に考えると良い答えが目の前にあるはずだが

悪と世の中が唱えれば簡単にハマる人達は悲しい生きものかも知れない。

自分達が生み出した悪のような形を信じ込んでね。

 

地域猫なんて言葉はうんざりする

活動している人には申し訳ないけどね

檻のような仕組みの中で生き物の事を語るなかれ。

 

僕の思いを あなたは間違ってると怒る人達は

既に毒されているから心が通じ合う事はないだろう。

全ての事に於いて決まりの中でしか答えが出せない人達だからです。

 

正しい事はいつもその外側に転がっているのだ。

 

ヘルメットやシートベルトもそう言うものです。

考案した人は正しい心で命を大切に考えたものだが

毒された人達はマナーの悪さや罰金減点だけに心が向いてしまうのだ。

決まりの外側に正しい事があるのに関わらずね

 

猫に餌をあげている人は心のある人達です。

それを悪と見なす人たちは心無い人達の事です。

どちらを選ぶかはそれぞれ自由です。

好きな方を自分の心に従えばいいだけの事。