猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

僕の性格 とにかく変わり者だと思います。

性格は全般に暗いです、思春期の頃は成人してから生きる事は難しい

とても生きて行けそうにないと思っていました。

人前は苦手で苦痛でしかありませんでした。

学校も内向的な人には理解出来ると思うけれど、自分の出席番号の日や

運動会等はことごとく休んでいました。

対人恐怖症とか自意識の過剰な奴なので、その気持ちはわかる人には

わかると思います。

社会構造の中では病院に行くと間違いなく精神疾患の病名が付くはずです。

今の時代に自分の状態をインターネット等で、イエス、ノーで答えて見ると

結果は今すぐ診断をとなってしまいます。

 

成人してから今日まで生きて来られたのは、ある意味逃避です。

自分が壊れてしまわないように何をどうすればいいか

ずっと考え続けていました。

学生時代によく休んだのも自分を壊さないための手段だったと思います。

人目に晒されること自体からの逃避です。

休んだ事をとがめられるよりは、出向いて自分の心が破壊されるよりはいい

そんな結論です。

自分の心が破壊されたら僕にとってそれは死を選ぶしか残らないからです。

大人になったら生きていけないだろうと思っていたのは

そんな自分を誰よりも知っているからだと思います。

また今日まで生きて来られたのも、逃避です。

逃避と言うと聞こえは悪いけれど、生き方の一つに

心が壊され死ぬよりそう言う方法が残されていると考えれば

逃避は自分を救う唯一の方法なんですね。

 

その証拠は何十年も会社行事など、いっさい参加拒否してきた事です。

出向けば心が破壊される、拒否を責められたリ変人扱いされるよりも

心が破壊してしまう事の恐怖の方が絶大なのです。

社内行事なんて当たり前の事なのですが、僕にとっては一大事なのです。

精神的な病を抱えている人はきっどこかに無理があるのだと思います。

僕の場合、その無理を人と接しない事で何とか今日まで生きて来たのでしょう。

 

こんな僕だから世間の常識の中では非常識極まりないのだとは思います。

みんなが協調する場面で一人だけ協調出来ていなかったしね

でもね、そのおかげで強くなった部分があります。

参加しない事では色々物議をかもしだしたりしています。

また圧力やパワハラ染みた説教も日常茶飯事です。

その部分が凄く強くなりました。

そうです心が破壊されるよりは責められる方が何倍も何十倍も楽だと感じています。

この気持ちは僕と同様の性格を持った人ならば一瞬にして理解出来ると思います。

 

仕事も殆ど車上でした、一人に成れる場所はここですよね。

40年近くそう言う道でしたね。

もちろんどの職場でも社内行事は不参加でした。

強制されたら、辞める覚悟で対応していたし、結構転職しています。

自分を救うのは自分でしかあり得ないからです。

 

思春期から今日までずっと自問自答で答えを出し続けています。

だって一般常識の答えは決まっているんだから他人に相談するまでもないしね

よくあるパワハラや登校拒否なども常識の答えは似たり寄ったりで

答えにはなってないもんね。

 

イジメなどもそうだけど答え決まってるし、どうしたら無くなるかだとか

適当に寄り集まって議論しても常識内の答えばかりだもんね。

 

パワハラ イジメさせなきゃいい

パワハラ イジメ受けなきゃいい

どうしたら無くなるか防げるか議論しても実際問題無くならない

 

僕はさせないし、受けない、受けたとしても動じない

その倍返す自信だけは身につけているつもり

何十年も白眼視され続けて耐性と言うか抗体持ってるよねえ

 

いじめ等あれば学校行かなきゃい、常識の中だけでウロウロしてもしょうがない

パワハラもそう、返すくらいでないと、平社員はやってられない

別に威張る必要もないよね、上司が会社に行くのが苦痛になるように

考えて言動しましょう。

 

僕にとって過労死も無い、それがある時は自分から望んで働くし

させられる仕事は残業もしない

本当の責任感の範囲位は自覚出来ている。

自分が望んで仕事をして倒れるのは過労死には当たらないよ

例え法的な時間を超えていてもね

過労死を時間で計るのが現実だろうけど

短時間でも過労死はあるよ

身の丈、精神の丈に合わない事を行って

倒れるのを過労死と言うのだ。

 

法律や常識はその部分に触れないけどね

 

僕は変わり者で良かったなと今では思っている

自分を生かす事が今日まで出来た事を誇りに思っている。

 

今の仕事も気に入っている、夜勤だし一人だからね

この年になってまだ一人でいられるわけだ

人と摩擦が無い事が一番いい人生を送る事が出来る