猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

仕事の話をしてみよう、その2

前々回、仕事の話をしましたが、二年近く勤めて老人施設で感じた事を

率直に書いて見ます。

本来こう言う施設が無い事が望ましい在り方だと感じています。

幸せと言う形があるとするならば、今の僕の仕事が無くなるのが

より幸せに近いと思います。

何故こう言う施設が存在するのか、昔から老人ホームなどはあるのですが

それらが極力無い事が本当の幸せの形のように考えてしまいます。

政治も絡み、管理された社会では、必然的に必要な施設と言う流れに

なるのでしょうが、何か間違っていると考えます。

 

家族からしてみると共稼ぎや核家族化が進み、施設への入居が最後の

選択肢でもあるのでしょう。

でもそれは安心感であり、幸せの形とは違う事を知って欲しいなと思います。

家族の安心の裏に希望を失い、生きる喜びを感じられる事無く

衰退していくお年寄りの姿はどう思われるのでしょうか?

 

ある意味閉鎖的で、そこに喜びを見つけ出すのは容易ではないと思います。

家族と一緒に家で過ごす選択へと移って欲しいのが僕の感想です。

それが叶わない今の日本の姿はとても美しい日本とは言えません。

2025年問題に向けて今日ピッチで進む現状はとても醜い日本の姿の様に

思えます。

 

お年寄りは家族と共に過ごしたいのです。

自分の家で過ごしたいのです。

しかしながら思うような身体では無いので、その思いを押し殺しているのです。

共に過ごす為には健康であるあなたの考え一つで

また、一緒に住む為にはどうすれば出来るだろうか?

ここから迷い悩んで欲しいものです。

 

僕の場合ですが基本的に型破りな男なので、長く会社勤めはとても出来ない事から

経済的には恵まれていません。それでもこの先、義母を迎え入れる為の

心の準備を始めています。

本来義務的には僕が同居する間柄ではありません。

何故なら僕の妻が高校一年の時、妻の妹を連れ妻を残したまま

他の男と逃げてしまい、一人残された妻は高校も中退し父は自殺に追いやられた

そう言う流れがありました。

その義母に先の心配はしないよう、身体に自信が無くなった時

同居しましょうと言ってあります。

また僕の姉も同様に言ってあります。

一人になって先が見えなくなった時は同居です。

 

家族と言うものは力を合わせて生きるのが本当の姿です。

施設に居る方は少なくとも僕らよりはみんな裕福です。

そう言う人達が何故施設を選ぶのか、これが悲しい現実です。

経済的に不利な人はとても入りたくても入れないので

ますます家族が力合わせるしかないんですよね。

 

潜在的に心の奥底にあるものはどのお年寄りも似たりよったりです。

それを代弁して言うなら、捨てられた。

客観的に言うならば姥捨て山と言った方が真実に近いですね。

その悲しみやどうにもならない感情を僕らは助けたい。

仕事としてこなしていては到底出来ないので、型破りな言動で

心の拠り所になればと思います。

 

施設を経営する方は、また政治家はもっとお年寄りが楽しめる

施設の形態を追求して、それだけの運営費を回して欲しいと思います。

恐らく政治家や経営者にはその良い形態の輪郭も見えないと思います。

これが今の美しくない醜い日本の姿の象徴かも知れません。