猫さんロードと裏猫日記

猫を通じて生き方を学んだり

価値観

普通に生活していると身の回りの日常は当たり前になりすぎて直観や本能的な

機能は麻痺して真実のようなものが見えなくなるのではないでしょうか?

僕自身は今は錆びついてしまったけれど若い頃はその機能がかなり働いていた

ような気がします。

人が考えないようなところまで考えたりはいつもの事でした。

疑問だらけで答えを探そうにも誰も明確な答えを出してくれないので

自分で考え答えを出すしか無いってところでしょうか。

 

疑問は素朴なものです。

何故学校に行かなければいけないの?

明確に答える大人はいません。

ちゃんとした答えを持っていないからです。

行っても行かなくても良いってのが真実に近いはずですけどね。

何故制服が必要なのか?

全てが素朴です。

 

校則のような決まりも同様でそこに明確なものは無く

どちらかと言うと何年も何十年も時代が変わっても追いついて来ないのが

校則のようなものです。

 

政治が中々変わらないのと同様ですね。

直観などはその一瞬で変化しますがルールなどはその観点から見ると

風化した異物の様なものです。

変化に全く付いていけない産物ですね。

その付いていけないものが日常の常識だと思えば

皆様方の常識が如何に時代遅れで現状に合わないのかって事でもあります。

 

生れてから叩き込まれたものを吸収しすぎると悲しいだけの人生かもね。

価値観そのものが時代と人に依って摺りこまれ真実から遠くなるのが普通です。

価値観こそ最新にしたいものです。

僕自身は自由が好きでその為に人生を送っているわけだから

変に風習に捉われたりはしないタイプです。

ある程度は人に合わせますが本心はちゃんと別なところに明確にあります。

例えば礼服なども僕自身には必要のない物と言うのが明確にあるのです。

必要が無いからと言って着ない事は無く相手が望めば身に付ける程度です。

 

自身の葬儀なととなると葬儀は特別にしなくて良い

お骨は要らない。

仏壇もお墓も要らない。

これも変な話

亡骸はただのゴミに近くゴミを入れるゴミ箱も特に要らないよって言うものです。

価値観そのものが違うのだと思います。

用意され教えられて来た常識ではどちらかと言うと必要不可欠に近いですけどね

最近では墓じまいとか増えてお墓は砕いて道路の砂利にもなりますが

それなりの供養はするでしょうがそれも本来不要だと言うのが真実でしょうね。

人の心の中には沢山の弱みがあり供養とかする事で自分の罪を

打ち消したいのでしょう。

恐らく太古の昔では蘇る願いから死者の魂とかを大切に思った名残が

あるのでしょうね。

 

戦争もいつまでも引きずって行かなくて良いのにね、原爆の悲惨さの前に

沢山の悲惨な日常もあるし被爆二世の僕はあまり永く伝えていく事が良いとは

思えません。

二度とあってはならない事は誰にでもわかる事です。

パールハーバーの出来事もいつまでも言わない方が良いですよね。

二度とあってはならない事を僕らではなく国がそう思えば良い事です。

僕らが思ったところで語り伝えたところで大した変わりはないと思います。

 

戦後80年近くも時間が経ってまだ目が覚めないのかね?

国同士がつつき合って核の現状を悪くしているだけじゃないですか?

どの国も目が覚めていないですよね。

小さな武器を放棄出来ないのに巨大な武器を放棄できますか?

核や武器を拡散し小さな武器も増えて行く現実が目の前で進みつつです。

最後はあなた自身のイデオロギーしかありません。

銃の引き金はひかない、核を投下しない。

それが出来なきゃ人類は滅びるべき生き物ですね。

 

どの国も国民と言う駒を都合よく利用し過ぎです。