ボヤキブログ

ただボヤクだけ

当たり前の事が当たり前でなくなる時

僕は常識やルール、マナー、規則が大嫌いな人間であります。

そして人はずるくて嘘をよくつく生き物だと思っています。

僕は常識やルールなど含めてくそくらえ主義でもあります。

そう思わせたのは世間一般に居る人達を見て来たからでしょう

ずるくて嘘つきばかりね。

常識やルールなどくそくらえと言っても無法者でもありません。

それは世間一般の人に与えたい言葉ですね。

その人達よりは物事の本質をしっかり見据えているつもりです。

過去からブログにもよく書いて来ましたが出来損ないの子供、出来損ないの大人達が

あまりにも多くて世の中を見る時、ほとんど全ての答えを自分で出さないと

とんでもない愚か者になってしまうような気がしています。

ストレートに言えば生まれてから教えられて来た事の全てを

捨てて本当の答えのようなものを悩みながら探し見つけて行くのが

僕の人生のようなものです。

教えられて来た事に正しい事があるのかどうか?

尾崎豊の詩の一節、正しいものは何なのか?ってやつですね。

教えられて来た事を一度疑って本質は何なのか?って遡って見えて来るものが

答えの一つでもあります。

 

僕がこのような性格になったのは出来損ないの子供と出来損ないの大人に

恵まれて来たからです。

そんな出来損ないに恵まれなかったら僕も出来損ないになっていたかもね。

「嘘」に始まった性格異常(笑)

 

ブログでは何度も書いた内容でもありますが

小学校1年で友達に誘われ桃を盗りに行きました。

そして畑のおじさんに見つかり学校へ連れて行かれ先生に

何故桃を盗ったのか聞かれた時に僕を誘った友達が

僕が桃を盗りに行こうと言ったので盗りました。

僕を主犯にしたのです、言わば濡れ衣、冤罪ですね

先生はその言葉だけを信じて僕を悪者として扱ったわけです。

出来損ないの子供と出来損ないの大人ですね。

家庭訪問と称して今日来ると言うので「桃の事は言わないで」と懇願しました。

先生はただの家庭訪問だから言わないよってね、嘘つき!

家庭訪問でドキドキしながら奥の部屋で耳を澄ませていたら

開口一番「今日○○君が桃を‥‥」

人間不信に陥った瞬間でもあります。

 

中学校の時も以前書いた記事でもありますが

掃除をさぼり遊ぼうやと誘われ4人でサボって遊びましたが

翌日先生に呼ばれサボった理由を聞かれた時に僕だけが

本当の事を言って先生に叩かれました、あとの3人は保身ですね

早く帰って来いと親に言われただとか嘘の理由をつけて叩かれもせず

注意だけ、おかしいよね?なんで本当の事を言った僕だけが叩かれるのですか?

嘘の理由を述べた者達は許されるのですか?

ずるい子供とずるい大人って思慮浅いよね。

 

トランプや遊び道具を学校に持ってきて見つかった時もそうでした。

先生に次から学校へ持って来るなよと言ったらみんな「二度と持って来ません」と

言って返して貰いましたがそいつらは次の日も持ってきていました。

僕は「まだ卒業まで1年以上あるので二度と持って来ませんとは言えません」と

返答して叩かれました。

おかしいでしょ? 持って来ませんと言った者達が許され

本当の事を言った僕が叩かれる‥‥。

ずるい子供とずるい大人です。

 

そうそう僕らよく悪さをしてカウンセラーの先生に催眠術受けました。

1.2.3.と数えるともう頭から手が離れない、1.2.3 離してごらん

僕だけ頭から手が離れました。

カウンセラーの言葉「頑固な奴だ」

みんな嘘つき

 

またある時誰かが校舎の4階からゴミを捨てたんですね

そして誰かが僕の名を出して○○が捨てたと言ったんです、それを聞いた教師に

僕が呼ばれ酷い事ぶっ叩かれました。

僕ではありませんと言っても「嘘をつくな」と反論するたびぶっ叩かれました。

ずるい子供とずるい大人です。

こう言う人達が僕の性格を育んできたわけです。

 

社会に出てからも嘘にやられましたね。

初めての就職先国鉄(JR)へは行った時に僕を含めて12人の新人が居ました。

そして先輩たちが「動労国労へ入れ」労働組合ですけどね勧めて来たわけです。

先輩たちが居なくなった後に新人の一人が「みんな先輩が言って来ても

組合に入らない様にしようぜ」とみんなに言うとみんな納得して「入らない」

そしてそいつが「約束守れよ絶対だぜ」

 

さて気が付いた時、僕を除いた11人全員が組合員になっていて

言い出しっぺが僕に耳打ちしました「入らないと将来出世も出来ないぜ」

おかしいでしょ? 世の中の縮図だね。

その日を境にいじめが始まりました。

仕事が遅い、早くすれば手を抜いていると言われ

物がなくなったら僕のせいにしたりですね

決定的なのはキャンプで夜の海を泳いで居たら先輩の声が聞こえました。

「みんな○○を相手にするな」

キャンプから戻って辞める決心が出来ました。

 

僕はいつも嘘で苦しみ悩み深い人間になってしまいましたね。

辞める決心の前に友人3人が大阪から電話して来ました。

大阪はなんぼでも仕事がある、辞めて一緒に行こうやとね

それが辞める決心を早めましたがいざ行く段階になると友人は

親の反対の為みんな行かれないとなり単身大阪へ行く事になってしまいました。

こんな流れが人間不信となり大人や世の中が若い内から嫌いになり

あんな大人にはなりたくはない、ずるがしこくて嘘つき顔と腹が違う。

 

ルールやマナーもそう言うやつらが作り上げて来ているので嫌いなのです。

本質に一度戻れば仏壇はただの木、墓石はただの石、骨はただのゴミ

そこからの思考まで戻らないと本質は見えないのです。

みんなが守れと言うルール等も本質を見ないで言っているのでどうでもいいのです。

 

例えばヘルメット、シートベルト、考案者は本当に命の大切さを思って

考案し備えたのに対して一般人はその部分に重きを置かないで

ルールを守れだけが先行してしまいます。

あなたの命を何とか守りたいが既にどこかに飛んでしまい

ヘルメットも被らずになんてルールみたいなものに引き寄せられています。

 

葬式など何故黒なのか喪服など決まり事として当たり前になってしまい

そこでも本質は考えて居ないと思います。

本質は黒だって赤だってどうでもいいのですがルールマナー優先すると

黒だらけなわけです。

本来なら知った瞬間、その姿で駆けつけるのが本質であります。

そこまでにならないのは遠い存在って事でもあります。

家族ならまた懇意であればあるほどすぐかけつけます。

そこに香典などの相場も存在しません。その瞬間が弔うって事ですね。

葬儀はただの形に過ぎないのです。

 

世の中は嘘の世界なので一度全てを捨ててゼロから考えましょうね。

テレビ週刊誌、視聴率やコマーシャル依存のものは本質を捉えて見ましょう

悍ましい世界の代表でもあります。