今日は正月に亡くなった義兄の四十九日と言う事で休みを取っています。
こう言うしきたりと言うかマナーと言うか僕の最も苦手な行事でもあります。
形式に乗っ取って事が運ぶのはレールの上を走らされる列車みたいなもので
斬新なものはそこには無いのでつまらないですね。
悪い言い方をすれば死に人を食い物にする商売は知識だけが豊富で
生き残った人間を惑わせる商売でもあります。
もちろん宗教もそれに乗じた同じ穴のムジナと言ってもいいかな?
ある域を脱した坊さんならば死に人の気持ちも生き残った人間の気持ちも
十分理解しているとは思いますが職業的な坊さんだとそれは無いだろうと感じて居ます。
法事はフルコースでなくても亡き人を心から忍ぶ気持ちがあればいいだけです。
ああしなさい、こうしなさいは余計なお世話と言うものです。
これは自分の時に遺言としてコースを作るしかありませんね。
生き残る人はしきたりに乗っ取って動かされるのでそれを外すのが
遺言かな?
マスク着用不要を政府が決めればそれが正しいのでしょうか?
その割には個人の判断に任せるような歯切れの悪さ。
どっちでも良いけれど個人の自由ならばどんな場所でもそれを適用すればいい
そうでないと時と場合によって付けたり外したりならば何も変わらないのと同じ。
3年間の学習がほぼ出来て居ないようですね。
集団免疫を阻害したのがマスク、消毒、換気、三蜜ですね。
心と身体のアンバランスは障害と言う表現がそもそもおかしいですね。
性同一性健常者で良いし、議論はいらないですよね
心広ければそこに何も問題はないです。
世の中は心が狭くてそこに入りきれない人達がぼろぼろと零れ落ちていますね。
ロボット化されたあなた達の心がその零れ落ちる人達を作り零れ落ちた人達を
ただ悪者にしている無責任は笑えてしまいます。
原因はあなた達の壊れた心なのです。