ここ数年は元々どうでも良かった新年の挨拶である年賀状は来た人にだけ
出す程度にしていましたがそれも煩わしく思う事が心にありました。
父が他界した頃には知らない人からの年賀状がずっと続いて
100枚を超える年賀状を毎年出していました。
礼を以ての形式は理解できるのですが知らない人から毎年届く事に
疑問を感じ一枚一枚調べ繋がり等を電話で問い合わせたり手紙で問い合わせたり
している内に多くの方が父母同士の繋がりで個人的には僕を知らないけれど
父母が出していたのだから出さないわけにも行かないのでただ出し続けると言う
形式の方が殆どでした。
内心は賀状を出す事も辞める事もどうしたものかと言う気持ちなのですね。
そう言う人達と手紙や電話のやりとりで年賀状を出す事を辞めましょうと言う
同意の元、出す事を辞めると僕自身直の年賀状は35枚前後しかありませんでした。
元々僕には盆や正月の観念より一年どこの時点を切り取っても
今日と明日しかありません。
また面倒なだけの気持ちが強いので今年で兄弟と子供に関わる
一握りに絞る為
最後の年賀状を来た人にだけ差し出しました。
実際問題として年賀を差し出さなければいけない人は距離感がある親戚などが
殆どなので本当に近い者には出しても出さなくてもいつでも連絡取り合えるので
形式だけの年賀は僕にとってあまり意味の無いものでもあります。
今回は父方母方の親戚に対して最後の賀状を差し出しました。
また過去の仕事仲間も今回最後の賀状を差し出しました。
一方的な無礼な賀状ではありますが僕の性格を知る人は理解出来ていると
思っています。そうでない方はこの賀状と共に縁が切れるのも良しとします。
在り来たりの文言はとてもとても使えません。
明けましておめでとうございます
今年も宜しくお願い致しますと共に
この賀状を以て人生最後の一枚と致します
永い間のお付き合いありがとうございました。