今日の猫とボヤキ

新しいブログ名です

病を推察してみる

病気とは有って無いようなものだと思う。

僕は人間社会は元々嫌いです、自由でありたいが故です。

その自由を奪われると自然に病と言う領域が迫って来るのだと考えています。

その自由を奪う原因がストレスなのでしょうね。

奪われた分だけ不調を来す、そんな流れではないでしょうか?

裏を返せば自由に振舞えば病のようなものはあっても不調まで感じるには

かなりの時間がかかると思います。

自覚が現れた時はもう終わりに近いかも知れないですね。

社会はがんじがらめの網のような規則や決まりがあり

それを当たり前、または良しとして暮らしているから

ストレスが病を引っ張って来るのでしょう。

また色々な情報が過多に入り込んで心と身体が制御不能になるように思います。

自由に暮らせれば病も気が付かないくらいハッピーな人生かもね。

 

毎日猫さんや鳥達を見ていると自由って意味が少しはわかるのではないでしょうか?

病も気にせず、病院なども行かず、我が身の状態は我が身で受け止めるだけ

不調があれど情報は持たないからその事を気にして滅入ったり

悩んだりはしないですね。

自分の身体と精神は何かに頼ったりすがったりは無いのです。

毎日が100パーセントの時間の中にあります。

今日は血圧高いから寝ていようなんて考え等ないだろうし

癌があるので飛ぶのは辞めようなんて鳥さんもいません。

その日まで生きる事に徹するだけです。

自由奔放でも不調は起きると思いますが、それで思い悩む猫さんや鳥さんは

居ないはず。

つまり人はストレスで病にかかりそれを思い悩むと言う余分なエネルギーを

捨てる程抱えているのだと思います。

 

客観的に見ても生物は何れ死ぬのです。

死ぬことが分かっていながら思い悩むのは人間以外いないでしょうね。

人生の中で本当に無駄なエネルギーを多く費やしていると思います。

何れ死ぬのにそれから逃げる事が闘病です。

例え一つの病に勝ちぬいたとしても最終的な結果は変わりません。

 

猫や鳥を日々見ていると凄く学ぶ事が多いです。

生き方を学ぶには一番身近な存在かも知れませんね。

 

人はただ一生無駄な時間をより長くしているような気もしています

そんな人生は送りたくないですね。

生きると言う事はすぐ背中合わせに死があるのだから

そんな無駄な時間を過ごすより自分の生き方を自分で決めて

それを貫いて行きたいものです。

その生き方を貫いてこそ生きた価値があるのではないでしょうか。

ああしなさい、こうしなさいと言われる必要も無いし

他人に決められる筋合いもありません。

自分はこうするがあればいいだけの事

それを阻害するものは敵に他なりません。

人に道を造られるより自分で自分の道を歩いた方が

きっと良いと思います。

社会のレールは間違えているくらいの考えの方がより自然です。

生きるのに病は必要ありません。

必要なのは病と言う観念を持たない事です。

 

新型コロナウィルス毎日うるさいだけ

入り込んだら生き抜くだけです。

予防?最後に死が待っている事を考えれば大した問題では無いですね。

今日死ぬか明日死ぬか程度のものです。

今日乗り越えても明日(何れかの明日)には終わりか来るでしょ。

防ぐものではなく受け止める事です。そのためにも無駄なエネルギーは

使わない方がいいですね。

使いすぎると恐らく負けます。